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'''横山 誠'''(よこやま まこと、[[1967年]][[8月26日]]<ref name="aac"/><ref name="宇宙船135">{{Cite journal|和書data = 2011-12-27|title = インタビュー 横山誠|journal = [[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]]|volume = Vol.137|pages = 072 - 073|publisher = [[ホビージャパン]]|isbn= 978-4798603346}}</ref> - )は、[[日本]]の[[映画]]・[[テレビドラマ]]作品の[[アクション監督]]・[[監督]]・[[スタントマン]]・[[演出家]]。有限会社[[AAC STUNTS]]代表取締役社長。血液型はAB型。[[東京都]]出身<ref name="宇宙船135"/>
 
== プロフィール ==
15歳のころ、10代からデパートの屋上のアクションショーなどに参加しており、そのチームで作った自主映画が映画『[[未来忍者 慶雲機忍外伝]]』の助監督の目に留から[[ジャパン・アクション・エンタープライズ|ジャパンアクションクラブ]]を紹介して欲しいと溜れたさいにのチームが作た自主映画を視聴してもらい、監督の[[雨宮慶太]]もその作品を視聴したことがきっかけで、1988年に同作の白怒火役でスタントマンとしてプロデビューした<ref name="Wicked宇宙船135">{{cite video |people=坂本浩一(監督) ・横山誠(監督) |date=2001-02-22 |title= ウィケッド・ゲーム|medium= DVD|language= 日本語|publisher=ZRO Limit Productions、[[スパイク (ゲーム会社)|スパイク]] |quote= 監督 横山 誠}}</ref>。
 
1989年に[[東京写真専門学校]]を卒業<ref name="宇宙船135"/>。1991年に[[明治大学]]文学部を卒業<ref name="宇宙船135"明治>。1995年春、『[[マイティ・モーフィン・パワーレンジャー|パワーレンジャー]]』の出演のために渡米<ref name="sakamoto2018">{{Cite book|和書|author = [[坂本浩一]]|date = 2018-08-09|title = 映画監督 坂本浩一 全仕事 ~ウルトラマン・仮面ライダー・スーパー戦隊を手がける稀代の仕事師~|publisher = カンゼン |pages = 517 - 521|isbn = 978-4862554772|chapter=対談5 監督 横山 誠}}</ref><ref name="NT">{{Cite journal|和書|author = 取材・上野磨位|year = 2008|month = 10|title = 先駆者たちの肖像 海を渡ったスタントマン|journal = NEWTYPE THE LIVE 特撮ニュータイプ|issue = 11月号|page = 83|publisher = [[角川書店]]}}</ref>。半年ほどスタントマンとして同作品に参加していたが、[[坂本浩一]]が横山が監督したスタントマン紹介ビデオを視聴したことで監督のオファーが入る<ref name="sakamoto2018"/>。それがきっかけとなり坂本浩一のスケジュールが合わない際に代理として『パワーレンジャー』のセカンドユニット監督を担当<ref>{{Cite book|和書|author = 坂本浩一|year = 1996|title = ハリウッドアクション! ジャッキー・チェンへの挑戦|publisher = フィルムアート社||page = 180||isbn = 4845996642|chapter = ALPHA STUNTSのメンバーたち}}</ref><ref name="sakamoto2018"/>。[[パワーレンジャー]]シリーズにおいてセカンドユニット監督には合成や日本の[[特撮監督]]にあたる仕事もこなす為、合成の知識が豊富な横山は適任だったとされる<ref name="sakamoto2018"/>。
1989年に[[東京写真専門学校]]を卒業。1991年に[[明治大学]]文学部を卒業。
1995年春、『[[マイティ・モーフィン・パワーレンジャー|パワーレンジャー]]』の出演のために渡米<ref name="sakamoto2018">{{Cite book|和書|author = [[坂本浩一]]|date = 2018-08-09|title = 映画監督 坂本浩一 全仕事 ~ウルトラマン・仮面ライダー・スーパー戦隊を手がける稀代の仕事師~|publisher = カンゼン |pages = 517 - 521|isbn = 978-4862554772|chapter=対談5 監督 横山 誠}}</ref><ref name="NT">{{Cite journal|和書|author = 取材・上野磨位|year = 2008|month = 10|title = 先駆者たちの肖像 海を渡ったスタントマン|journal = NEWTYPE THE LIVE 特撮ニュータイプ|issue = 11月号|page = 83|publisher = [[角川書店]]}}</ref>。半年ほどスタントマンとして同作品に参加していたが、[[坂本浩一]]が横山が監督したスタントマン紹介ビデオを視聴したことで監督のオファーが入る<ref name="sakamoto2018"/>。それがきっかけとなり坂本浩一のスケジュールが合わない際に代理として『パワーレンジャー』のセカンドユニット監督を担当<ref>{{Cite book|和書|author = 坂本浩一|year = 1996|title = ハリウッドアクション! ジャッキー・チェンへの挑戦|publisher = フィルムアート社||page = 180||isbn = 4845996642|chapter = ALPHA STUNTSのメンバーたち}}</ref><ref name="sakamoto2018"/>。[[パワーレンジャー]]シリーズにおいてセカンドユニット監督には合成や日本の[[特撮監督]]にあたる仕事もこなす為、合成の知識が豊富な横山は適任だったとされる<ref name="sakamoto2018"/>。
 
後に正式に監督となり<ref name="NT"/>、主にアクション監督、ときおり本編監督として<ref name="dgj"/>、約8年間のうちに約400話を手掛けた<ref name="aac"/><ref name="宇宙船135"/>。
 
2002年には「[[パワーレンジャー]]」シリーズの撮影ロケ地が[[ニュージーランド]]へ変更されたため、そこに移住し、『[[パワーレンジャー・ニンジャストーム]]』のセカンドユニット監督を担当した後、2003年に日本へ帰国<ref name="dgj"/>。有限会社AAC STUNTS代表取締役社長に就任した<ref name="dgj">{{Cite web|url=http://www.dgj.or.jp/essay/article/000158.html|title=横山 誠 「ハリウッドと日本のアクション現場」|publisher=日本映画監督協会|accessdate=2015-09-23}}</ref><ref name="宇宙船135"/>。
 
== 作品 ==
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=== テレビドラマ ===
* パワーレンジャー ''Mighty Morphin' Power Rangers''(1995 - 1996) - セカンドユニット監督、スタント・コーディネーター(クレジット無し<ref name="Wicked">{{cite video |people=坂本浩一(監督) ・横山誠(監督) |date=2001-02-22 |title= ウィケッド・ゲーム|medium= DVD|language= 日本語|publisher=ZRO Limit Productions、[[スパイク (ゲーム会社)|スパイク]] |quote= 監督 横山 誠}}</ref>)
* パワーレンジャー・ジオ''Power Rangers Zeo''(1996) - セカンドユニット監督、スタント・コーディネーター(クレジット無し<ref name="Wicked"/>)
* [[パワーレンジャー・ターボ]] ''Power Rangers Turbo''(1997) - セカンドユニット監督、スタント・コーディネーター(クレジット無し<ref name="Wicked"/>)
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[[Category:スーツアクター]]
[[Category:明治大学出身の人物]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:1967年生]]
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