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'''監物 永三'''(けんもつ えいぞう、[[1948年]][[2月13日]] - )は、[[岡山県]]出身の元[[体操競技|体操]]選手で現在は[[日本体育大学]]教授、日本体操協会副会長。1968年[[メキシコオリンピック]]、1972年[[ミュンヘンオリンピック]]、1976年[[モントリオールオリンピック]]男子団体金メダリスト。[[清風中学校・高等学校|清風高等学校]]、[[日本体育大学]]卒。
 
[[世界体操選手権]]とオリンピックでは種目別の[[あん馬]]で合計4個のメダルを獲得。日本の男子体操黄金時代に「夢のタイトル」と呼ばれたあん馬で、もっとも金メダルに近いと言われた選手であった。オリンピックと世界体操選手権で獲得したメダルは23個、うち金メダルが10個、銀メダルが7個、銅メダルが6個であった。1970年には世界選手権男子個人総合で日本人初の優勝を果たしている。引退後は日本体育大学や[[徳洲会体操クラブ]]などで指導者として[[水鳥寿思]]らを育て上げた。2004年の[[アテネオリンピック (2004年) における体操競技|アテネオリンピック]]に金メダルを獲得した男子団体メンバーと共に[[紫綬褒章]]を受章した<ref>日本の体操で過去の紫綬褒章を受章しているのは、[[竹本正男]](1980年)、[[小野喬]](1988年)、[[遠藤幸雄]](1996年)、[[相原信行]](1997年)、[[山下治広|松田治廣]](1999年)、[[早田卓次]](2002年)、[[中山彰規]](2003年)、[[鹿島丈博]](2003年)、[[加藤澤男]](2004年)。</ref>。2006年に[[国際体操殿堂]]入りを果たした。