「近鉄奈良線列車暴走追突事故」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
海ボチャン (会話 | 投稿記録)
38行目:
また事故車には主電動機を発電機として使用し、運動エネルギーを一旦電力に変換後、抵抗器で熱エネルギーとして放出することで減速する発電ブレーキが備わっておらず<ref>事故車の制御器はゼネラル・エレクトリック社製MK制御器と呼ばれる電磁単位スイッチ方式による総括制御器で、新造時にはマスコンのノッチを力行時とは反対方向に回転させると動作する、非常用発電制動を搭載していたが、これは下り勾配での常用による抵抗器の焼損と電動機の劣化が頻発したため戦前に撤去されていた。</ref>、更には[[集電装置]]のパンタグラフが暴走によって[[架線]]から外れてしまい<ref>狭い生駒トンネルを通るため短くしていたという(鉄道・航空機事故全史より)</ref>、[[マスター・コントローラー|マスコン]]の主回路を逆転させて電動機を逆方向に回転させ、その抵抗力で減速し停車させる非常制動(逆転制動)が使用できなかったことも被害を大きくした<ref>以前、[[阪急電鉄|阪急]][[三国駅 (大阪府)|三国駅]]において同様のケースの事故が起こり、その際にこの方法で電車を減速、停車させたことがあった。近鉄のこの事故においても、パンタグラフが外れず集電さえできていれば阪急の事例と同じ手法で減速が可能であったと考えられている。</ref>。
 
その他、戦中に徴兵された年配の職員がまだ職場復帰しておらず、21歳という経験不足の[[運転士]]が電車を運転しており、事故車両が当日の奈良行き列車として使用された際に[[額田駅 (大阪府)|額田駅]]で、そして折り返しとなったこの電車でも事故直前にも近畿日本生駒駅(現・[[生駒駅]]で[[オーバーラン]]を起こしたにも関わらず、問題ないと判断して運転を継続させたことも事故発生原因の一つとされている。
 
この当時は、近鉄のみならず各社で整備不良・資材不足による事故が頻発しており、特に生駒トンネルではこの事故以前に、[[終戦]]後2回も以下のような大事故が発生していた。