「石井正敏」の版間の差分

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[[手島崇裕]]は、「改めて石井の業績全体と向き合いながら、細部にわたる綿密で周到な議論に学びつつ、少しでもその研究成果を受け継ぎ、発展させていきたい」と述べている<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=74-75}}</ref>。
 
[[鈴木靖民]]は、「石井正敏が日本古代史、特に対外関係史の研究分野で歴史学界に登場したのは一九七〇年のことであり、それ以来、病気のために没する二〇一五年までおよそ四十五年、次々に対外関係史の様々な分野、テーマにわたって研究成果を公にし続けた。今日の日本における日本史および対外関係史の代表的研究者として学界内外に影響を与えてきた<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=78}}</ref>」「今日の対外関係史研究を代表する石井<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=80}}</ref>」「石井が日本古代史の研究を対外関係の視点で積極的に推し進めてきたことは、その全業績をみれば一目瞭然である。今日のこの分野の学界が共有すべき通説を形成する研究の陣営に石井が加わり、その基礎となる成果の数々を担ってきたことは十分評価すべきであろう。石井の重厚な研究の一々を知って展望するなら、その学界に占めた高い位置をなんびとも否めない<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=81}}</ref>」と述べている。
 
== 著書 ==