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記録上に現れるナシには巨大なものがあり、5世紀の中国の歴史書『[[洛陽伽藍記]]』には重さ10斤(約6キログラム)のナシが登場し、『[[和漢三才図会]]』には落下した実にあたって犬が死んだ逸話のある「犬殺し」というナシが記述されている<ref>{{Cite web |url = {{NDLDC|898162/505}} |title = 和漢三才図会 巻第八十七 梨 |publisher = [[国立国会図書館]] 近代デジタルライブラリー |accessdate = 2015-05-15 }}</ref><ref>鈴木晋一 『たべもの史話』 小学館ライブラリー、1999年、pp50-54</ref>。
 
江戸時代には栽培技術が発達し、100を超す[[栽培品種|品種]]が[[果樹園]]で栽培されていた。[[松平定信]]が記した『[[狗日記]]』によれば、「船橋のあたりいく。梨の木を、多く植えて、枝を繁く打曲て作りなせるなり。かく苦しくなしては花も咲かじと思ふが、枝のびやかなければ、花も実も少しとぞ。」とあり、現在の[[市川市|市川]]から[[船橋市|船橋]]にかけての江戸近郊では[[江戸時代]]後期頃には、既に梨の栽培が盛んだった事がわかっている。
 
[[明治時代]]には、現在の[[千葉県]][[松戸市]]において'''二十世紀'''が、現在の[[神奈川県]][[川崎市]]で'''長十郎'''がそれぞれ発見され、その後、長らくナシの代表格として盛んに生産されるようになる。一時期は全国の栽培面積の8割を長十郎で占めるほどであった。また、それまでは晩生種ばかりだったのだが、多くの早生種を含む優良品種が多数発見され、盛んに[[品種改良]]が行われた。
== 品種 ==
[[File:Nashi cultivar share.png|thumb|left|240px|ナシの品種ごとの栽培面積<br />(特産果樹生産動態等調査、2010年)]]
ナシの栽培は古くからあったが、品種名が文献に現れるのは[[江戸幕府]]が行った[[特産品]]調査([[1735年]])である。当時既に150もの品種が記録されている。品種改良は20世紀初め頃から行われるようになった。現在では幸水、豊水、二十世紀、新高の4品種だけで、収穫量の約9割を占めているが、いずれも19世紀後半 - 20世紀前半に発見あるいは交配された品種である。
 
ナシの品種は、果皮の色から黄褐色の'''赤梨系'''と、淡黄緑色の'''青梨系'''に分けられるが、多くの品種は赤梨系で、青梨系の品種は二十世紀、八雲、菊水、新世紀、瑞秋(二十一世紀梨)など少数である。この色の違いは、果皮のコルク層によるもので、青梨系の果皮はクチクラ層に覆われており黄緑色となるが、赤梨系の品種では初夏にコルク層が発達し褐色となる。
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