「石井正敏」の版間の差分

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→‎評価: 記事主題への評価ではなく、参考文献『前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学』共著者の「目標」
「細部にわたる綿密で周到な議論」とありまさに石井の評価である。
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近藤剛は、[[高麗大学]]に留学に行った際の出来事として「古代対外関係史研究の第一人者であったことは、国内外で広く知られている。留学中、筆者は韓国の研究者から『渤海史(研究者)の石井正敏』の教え子ということで様々な調査・交流の機会を得ることができたが、それと同等に、中世史研究者からは『三別抄(研究)の石井正敏』の教え子として良くしていただいた」と述べており、石井の三別抄に関する論文の韓国での翻訳は「文永八年来日の高麗使について」(『東京大学史料編纂所報』一二)だけであったが「この一本の論文が日本のみならず、韓国において非常に大きなインパクトを与えたことがうかがえる」と述べている<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=40-41}}</ref>。石井の研究については、「石井の研究は、根本となる史料を[[活字本]]に依拠するのではなく、[[原本]]・[[写本]]レベルから[[校訂]]を加えて本文を確定し、必要に応じて古文書学的な分析を加え、内容の読解に入る」スタンスであると述べている<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=57}}</ref>。
 
[[手島崇裕]]は、「改めて石井の業績全体と向き合いながら、細部にわたる綿密で周到な議論に学びつつ、少しでもその研究成果を受け継ぎ、発展させていきたい」と述べている<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=74-75}}</ref>。
 
[[鈴木靖民]]は、「石井正敏が日本古代史、特に対外関係史の研究分野で歴史学界に登場したのは一九七〇年のことであり、それ以来、病気のために没する二〇一五年までおよそ四十五年、次々に対外関係史の様々な分野、テーマにわたって研究成果を公にし続けた。今日の日本における日本史および対外関係史の代表的研究者として学界内外に影響を与えてきた<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=78}}</ref>」「今日の対外関係史研究を代表する石井<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=80}}</ref>」「石井の主著と称してよい、精緻な実証性に富んだ巨冊、『日本渤海関係史の研究』<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=81}}</ref>」「石井が日本古代史の研究を対外関係の視点で積極的に推し進めてきたことは、その全業績をみれば一目瞭然である。今日のこの分野の学界が共有すべき通説を形成する研究の陣営に石井が加わり、その基礎となる成果の数々を担ってきたことは十分評価すべきであろう。石井の重厚な研究の一々を知って展望するなら、その学界に占めた高い位置をなんびとも否めない<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=81}}</ref>」と述べている。