「リュシアン・ルバテ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m 全角閉じダブルクォート「”」→全角開きダブルクォート「“」
m編集の要約なし
1行目:
{{出典の明記|date=2018年9月17日 (月) 07:28 (UTC)}}
{{Portal|文学}}
[[File:Rebatet librairie.jpg|thumb|upright|リュシアン・ルバテ]]
16 ⟶ 17行目:
しかしその後、ヒトラーによる[[オーストリア併合]]、[[ズデーテン]]地方の併合を黙認している[[フランス第三共和政|フランス第三共和国]]において、このような強力な国家を樹立することは不可能と断じ、その後、[[ナチス・ドイツのフランス侵攻|対独戦]]が始まると、[[敗北主義]]的論調を執筆するようになった。
 
対独戦においては従軍するも、フランス軍は連敗に継ぐ連敗で、前線は後退しつづけ、ルバテもそれに従い国土を南下する。その後フランスは、大した戦果を挙げることもなく降伏する。首都[[パリ]]は占領され、南部[[ヴィシー]]に親独中立の[[ヴィシー政権|ヴィシー・フランス]]が成立した。このころ、反ドイツの思いからパリを脱出した『アクション・フランセーズ』を脱退。パリで『ジュ・スィ・パルトゥ』への寄稿に専念することになった。
 
[[1942年]]に、ユダヤ人、『アクション・フランセーズ』の盟友、フランス革命以来の伝統的右翼、第三共和国、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]、はては[[ナチス・ドイツ]]に対する不満や怒りや憎悪をぶちまけた問題作『残骸』を発表する。これは占領下のフランスでベストセラーとなった。