「日本統治時代の南樺太の鉄道」の版間の差分

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== 歴史 ==
[[ファイル:Toyohara rr hq.jpg|250px|right|thumb|1930年代の樺太庁鉄道事務所庁舎(豊原市)]]
[[明治]]初年において樺太は国境画定ができず日露混住の地とされたが、[[1875年]](明治8年)の[[樺太・千島交換条約]]により一旦、樺太は全てロシア領となった。その後、[[日露戦争]]の講和のため[[1905年]](明治38年)[[9月5日]]に締結された[[ポーツマス条約]]によって、[[緯度|北緯]][[50度線]]以南が[[大日本帝国|日本]]領となるして祖国に復帰したが、それに先駆けて同年7月には[[日本軍]]が上陸しており、8月には[[占領行政|軍政]]が島全域に敷かれた。
 
[[大泊町|大泊]]から[[豊原市|豊原]]の間に軍事物資を輸送するための交通機関が必要となったため、軍用の鉄道を敷設することになった。これが樺太における鉄道の創始である。[[樺太民政署]]が置かれた後の[[1906年]](明治39年)[[9月24日]]に[[軌間]]600mmの路線として着工され、僅か55日後の[[11月17日]]には竣工、[[12月1日]]にはコルサコフ(大泊)-ウラジミロフカ(豊原)間43.3kmで営業が開始された<ref name=karafuto>{{Cite book|和書|author = 西鶴定嘉|title = 樺太の歴史|edition = 第二刷|date = 1977-12-25