「源頼義」の版間の差分

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== 評価 ==
前九年の役を描いた『[[陸奥話記]]』では「沈毅にして武略にまさり、最も将帥の器なり」「士を愛し施しを好む」とされている。一方で、[[阿久利川事件]]後の安倍氏との戦いでは、部下の離反により作戦行動に失敗していることなどから、その能力を疑問視する意見もある。とは言え、前述のように10有余年にわたって奥州で戦い抜いた頼義に対する朝廷の評価は頗る高く、伊予守という受領の筆頭格の地位を与えた戦後の恩賞を見てもそれは明らかである。
 
『[[中外抄]]』や『[[古事談]]』には母親の修理命婦が自身の侍女の半物の恋人の随身と密通して随身中臣兼武を産んでおりこれを嫌悪し前九年の役で死亡した馬の供養はしても母親の供養はしなかったと書かれている。また母方の身分の低さから頼義自身も官職では伸び悩んでいた事もあり、それ以降河内源氏の棟梁は家柄の良い娘を選ぶようになったと『[[中外抄]]』には伝えられている。