「豊浜トンネル」の版間の差分

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|time = 8時10分頃 (JST)
|place = [[北海道]][[後志総合振興局|後志管内]][[古平郡]][[古平町]]<br/>{{ウィキ座標2段度分秒|43|15|1.2|N|140|41|48.2|E|region:JP}}
|casualties1 = 20人死亡 1名軽傷
}}
1996年[[2月10日]]午前8時10分頃、古平町側の坑口付近において岩盤(最大高さ70[[メートル|m]]・最大幅50m・最大厚さ13m・体積11,000[[立方メートル|m<sup>3</sup>]]・重さ27,000[[トン|t]]と推計)が崩落。トンネル内を走行中だった[[北海道中央バス]]の[[積丹町]]余別発[[北海道中央バス小樽ターミナル|小樽駅前]]行き路線バス(乗客18名、運転手1名)と、後続の[[乗用車]](1名乗車)、対向2乗用車1台(1名乗車)の計3台が直撃を受け、間一髪で脱出した乗用車運転の女性1名を除き20名全員が死亡した。
 
トンネル内の事故現場は多数の瓦礫に塞がれ、内部に閉じ込められた車の様子が確認出来ず、さらに、巨大なまま上部に残留している岩盤を除去しない限りは再崩落の危険があり、内部に入ることができなかったため、岩盤を[[発破]]により海側へ滑らせて除去することとした。しかし、内部にいる人が生存している可能性も考慮し、岩盤除去に使用する爆薬の量が制限されたため、岩盤除去作業は難航した<ref>「古平トンネル崩落事故犠牲者救出発破遊戯」と称する事故に便乗した[[不謹慎ゲーム|悪質ゲーム]]がネット上に出回り問題となった。</ref>。11日より14日にかけて、4回にわたる発破作業の末ようやく岩盤を除去することができた<ref>2度目の発破の際「崩れた岩の形が人面に見える」と話題になった。</ref>。岩盤除去後に瓦礫は取り除かれたが、乗用車は原形をとどめておらず、また、[[バス (車両)|バス]]は3mあった高さが1mにまで押し潰された有様であり、死因は全員とも圧死で、ほぼ即死状態であったと考えられる。