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贋作を作成する人物は贋作家と呼ばれるが、これらの人物は裁判などでは「模写をしただけ」などの主張をする事が多く、単純な模写と専門技術を使った贋作との差が裁判の際には問題となることもある。
 
贋作と模写で出来栄えを分ける場合もある。[[幕末]]から[[明治]]にかけての著名な[[日本刀]]の贋作師、[[三重県]][[桑名市]]の[[三品広房]]は、困窮から地元の刀工[[村正]]や村正子孫の正義末備前中心に「桑乗って打ち」という粗悪な古刀の贋作を作っていた時期もあったが{{sfn|田畑|1989|pp=430–431}}、
広房と本名を名乗り模写として[[村正]]写しを製作した場合には、真の村正にも決して劣らぬ出色の出来だったという{{sfn|田畑|1989|pp=362–369}}。
広房は幕末の一般的な刀工のレベルを逸脱した優れた鍛冶師だったので、広房の贋作も存在し、贋作師が贋作を作られるというケースでもある{{sfn|田畑|1989|pp=362–369}}。
六代広房は明治初期に贋作の製作をやめ{{sfn|田畑|1989|pp=430–431}}、その後の広房派は桑名を代表する名工の一派に数えられていて、子孫もまた優秀な刃物を作り{{sfn|田畑|1989|pp=362–369}}、2017年現在も六代広房が桑名市で包丁などの製作を続けておりいる<ref name="hirofusa">
{{cite url |author= AKI
|publisher=桑名市商店連合会青年部
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|date=2017-09-13
|accessdate= 2018-09-23}}
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</ref>、広房派は村正の流派に次ぐ桑名の名工の一派に数えられている{{sfn|田畑|1989|pp=362–369}}。
 
== 贋作鑑定 ==