「交響曲第7番 (シューベルト)」の版間の差分

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シューベルトは[[グラーツ]]楽友協会から「名誉ディプロマ」を授与された。わずか25歳でのこの授与に対し、シューベルトは返礼として交響曲を作曲することにした。しかし、シューベルトが送付したのは第1楽章と第2楽章だけで、残りの楽章は送付しなかったとされる。
 
そのままシューベルトはなぜか別の交響曲([[交響曲第8番 (シューベルト)|ハ長調D944]]) を作曲しだし、ロ短調交響曲を完成させる前にシューベルトは逝去。シューベルトの名声が確実なものとなった没後数十年を経て、残された2楽章分のみを出版することにした。初演は[[1865年]][[12月17日]]、[[ウィーン]]。初演された当時シューベルトはすでに「大家」の扱いであり、未完成の理由について多くの推察が行われたが、決定的な証拠は遺されなかった。
 
交響曲は通常4つの楽章から構成され、その最も典型的な形が『[[交響曲第5番 (ベートーヴェン)|運命]]』や『[[交響曲第9番 (ドヴォルザーク)|新世界]]』などに見られる[[アレグロ]]・[[ソナタ形式|ソナタ]] - 緩徐楽章 - [[スケルツォ]] - フィナーレ という形式である。シューベルトも当初はそのようなものを構想して、この交響曲ロ短調の作曲を進めていったのであろうと考えられる。しかし、シューベルトは第2楽章まで完成させ、スケルツォ(第3楽章)をスケッチまでほぼ仕上げながら、そこで作曲を中止してしまったとされているが、諸説ある。
 
なぜ第2楽章までで作曲を中止してしまったのかにはさまざまな説がある。例えば「第1楽章を4分の3拍子、第2楽章を8分の3拍子で書いてしまったために、4分の3拍子のスケルツォがありきたりなものになってしまった」というもの、また「シューベルトは、第2楽章までのままでも十分に芸術的であると判断し、それ以上のつけたしは蛇足に過ぎないと考えた」という説などである。事実、第3楽章のスケッチの完成度があまり高くないため、シューベルトのこの判断は正しかったと考える人は多い。もっとも、このように音楽作品を完成させないまま放棄するということをシューベルトはきわめて頻繁に行っており<ref>この曲以外にあと5曲の未完成交響曲がある。</ref>、「未完成」であることは、この交響曲の成立に関してそれほど本質的な意味はないとする考えもある。
 
これとは別に、シューベルトはこの交響曲を完成させていたが、劇[[付随音楽]]『[[キプロスの女王ロザムンデ|ロザムンデ]]』に音楽を流用するために[[グラーツ]]楽友協会から第3、4楽章の楽譜の返還を求め、結果として楽譜が散逸した、とする説もある<ref name="v">[http://tower.jp/item/4534276/Schubert%EF%BC%9A-The-Finished--Unfinished--(Symphony-No-8-D-759,-Reconstructed-by-Mario-Venzago) Schubert: The Finished "Unfinished" (Symphony No.8 D.759, Reconstructed by Mario Venzago) マリオ・ヴェンツァーゴ 、 バーゼル室内管弦楽団] - tower.jp</ref>。
 
シューベルトが残したスケルツォに[[管弦楽法|オーケストレーション]]をほどこして第3楽章とし、『ロザムンデ』の間奏曲第1番を流用して第4楽章とする4楽章の補筆完成版(イギリスの音楽学者{{仮リンク|ジェラルド・エイブラハム|en|Gerald Abraham|label=エイブラハム}}と{{仮リンク|ブライアン・ニューボールド|en|Brian Newbould|label=ニューボウルド}}による<ref>その他の未完成交響曲も含めて録音した[[ネヴィル・マリナー]]指揮によるシューベルト交響曲全集がある。</ref>)の演奏もある<ref>[[IMSLP]]で元のピアノ譜つきの補筆楽譜を確認することが出来る。</ref>。