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卒業後の1998年に大阪の[[グランプリ (教育関連)|グランプリ]]に入社。1997年、卓球メーカーに勤務の日本人女性との結婚を機に翌1999年日本[[国籍]]となった([[帰化]]した理由は子供が中国籍でいじめに遭わないためと[[卓球王国]]で語っている)。2006年より、グランプリの監督兼任選手。2006年の日本卓球リーグ(後期)で優勝。全日本社会人でシングルス、ダブルス共に優勝。2004年の全日本卓球選手権では、3種目でファイナリストとなり[[小西杏]]との混合ダブルスに優勝、シングルス準優勝、ダブルス準優勝。
 
[[宮崎義仁]]が日本代表の監督になってから代表メンバーに選ばれ2003年の[[第47回世界卓球選手権個人戦|世界選手権パリ大会]]、2004年の[[第47回世界卓球選手権団体戦|世界選手権ドーハ大会]]、[[2004年アテネオリンピック (2004年) における卓球競技|アテネオリンピック]]に出場。[[ITTFプロツアー]]にも参戦している。
 
=== 引退後の進路 ===
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== 家系 ==
父は中国国家級監督で、元中国代表の[[周樹森]]。世界チャンピオンでアテネオリンピック金メダリストの[[張怡寧]]や世界大会2位の[[郭エン|郭焱]]、[[2016年リオデジャネイロオリンピックにおける卓球競技|リオデジャネイロオリンピック]]金メダリストの[[丁寧 (卓球選手)|丁寧]]を発掘など、中国トップ選手を擁する[[中国超級リーグ]]「北京チーム」の前監督。定年による勇退後、2009年1月に[[シンガポール]]女子代表監督に就任。2010年世界大会(モスクワ)では19年間女王の座に君臨してきた[[中国]]を破りシンガポールを世界チャンピオンへと導いた。
 
母は元中国代表で中国チャンピオンの[[劉雅琴]]。世界卓球の優勝を期待されたが[[文化大革命]]の最中で、当時の中国代表は政治問題で世界選手権へは出場できなかった。
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* [https://web.archive.org/web/20160306150044/https://www.ittf.com/ittf_stats/All_events3.asp?ID=8411 アーカイブ] - [[国際卓球連盟|ITTF]]
{{全日本卓球選手権(混合複)優勝者}}
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{{DEFAULTSORT:あらい しゆう}}
[[Category:日本の卓球選手]]
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[[Category:中国系日本人]]
[[Category:選手兼任監督]]
[[Category:男子卓球選手]]
[[Category:1975年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:男子卓球選手]]
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