「ピエール=オーギュスト・ルノワール」の版間の差分

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==== 日本 ====
[[ファイル:Pierre-AugusteRenoir-1914-Seated Bather.png|thumb|right|160px|『すわる水浴の女』1914年。油彩、キャンバス、55 ×44.2 cm。岸本吉左衛門旧蔵、[[ブリヂストン美術館]]。]]
[[梅原龍三郎]]は、1908年にパリのリュクサンブール美術館を訪れた時、ルノワールの作品に感動し、1909年2月、レ・コレットのルノワールに会いに行った。その年、[[山下新太郎 (洋画家)|山下新太郎]]や[[有島生馬]]を連れて再訪し、彼らはルノワールから『水浴の女』を譲り受け、日本に持ち帰った<ref>[[#島田・ルノワール|島田 (2009b: 73)]]。</ref>。
日本人で初めてルノワールの絵を買ったのは、パリで画商をしていた[[林忠正]]であった。しかし、林が購入した作品は、日本で知られることはなく、売却されてしまった<ref>[[#宮崎|宮崎 (2007: 201)]]。</ref>。
 
日本国内初めてルノワールに大きな影響を受けた画家は、雑誌『[[白樺梅原龍三郎]]であった<ref>[[#宮崎|宮崎 (雑誌2007: 202)|白樺]]』などで。</ref>。梅原は、1908年にパリのリュクサンブール美術館を訪れた時、ルノワールが紹介されの作品に感動し[[岸田劉生]]1909年2月[[中村彝]]レ・コレットのルノワールに会いに行った。その年、[[赤松麟作山下新太郎 (洋画家)|山下新太郎]][[土田麦僊有島生馬]]などがそを連れて再訪し、彼らはルノワールから『水浴影響女』譲り受け、日本に持ち帰った<ref>[[#島田・ルノワール|島田 (2009b: 73)]]。</ref>。
 
日本国内では、雑誌『[[白樺 (雑誌)|白樺]]』などでルノワールが紹介され、[[中村彝]]、[[赤松麟作]]、[[土田麦僊]]などがその影響を受けた<ref>[[#島田・ルノワール|島田 (2009b: 73)]]。</ref>。山下が持ち帰った『水浴の女』が1912年の第4回白樺美術展で展示されたのが、日本の公衆がルノワールの絵画に触れた最初の機会であったが、この時は[[オーギュスト・ロダン|ロダン]]が絶大な人気を博していたのに比べ、ルノワールへの反応は低調であった<ref>[[#宮崎|宮崎 (2007: 203-07)]]。</ref>。[[第一次世界大戦]]後にルノワール人気が沸騰し、1919年にルノワールが死去すると、日本の新聞は大々的に関連記事を掲載した。[[中沢彦吉]]や[[岸本吉左衛門]]がフランスでロダンやルノワールの作品を買い集め、そのコレクションが1920年に東京と大阪の展覧会で公開されると、新聞でルノワールが熱心に取り上げられた。中村彝は、ルノワール作品に感動し、「どうしても人間を、裸体を、その生命を強調して、ナマナマしく表現し度い」と書き記し、『すわる水浴の女』の模写を制作した。一方、[[坂本繁二郎]]は物足りないと評し、[[岸田劉生]]は「ルノアルは甘いものだと思つた。画に惢がない。……中心へ行くと、綿をつかまされた様な気がする。」と批判した。この展覧会の頃が、ルノワール熱のピークとなった<ref>[[#宮崎|宮崎 (2007: 211-23)]]。</ref>。また、この頃、[[松方幸次郎]]や[[大原孫三郎]]も膨大な西洋美術を収集し、その中にはルノワールの『アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)』(松方コレクションから[[国立西洋美術館]])、『泉による女』([[大原美術館]])なども含まれていた<ref>[[#宮崎|宮崎 (2007: 259-78)]]。</ref>。こうして日本に紹介されたルノワール作品は、印象派時代のものよりも、後期の作品が中心であり、日本人にとってのルノワールのイメージは、後期の様式を基に形成されてきた<ref>[[#宮崎|宮崎 (2007: 200, 325)]]。</ref>。
 
[[第二次世界大戦]]後は、1970年代に、[[広島銀行]]がルノワールの『パリスの審判』を購入するなど、再び西洋美術熱が到来した。1985年頃から1990年頃までの[[バブル景気]]時代には、前述のような齊藤了英による『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』の高額落札のほかにも、各地の県立美術館が競ってモネ、ルノワール、ピカソなどの作品を買い求めた<ref>[[#宮崎|宮崎 (2007: 397-98)]]。</ref>。
 
== 関連作品 ==
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* {{Cite book |和書 |author=シルヴィ・パタン |others=渡辺隆司・村上伸子訳、高階秀爾監修 |title=モネ――印象派の誕生 |publisher=[[創元社]] |series=「知の再発見」双書 |year=1997 |origyear=1991 |isbn=4-422-21127-7 |ref=パタン}}
* {{Cite book |和書 |author=フィリップ・フック |others=中山ゆかり訳 |title=印象派はこうして世界を征服した |publisher=[[白水社]] |year=2009 |origyear=2009 |isbn=978-4-560-08001-6 |ref=フック}}
* {{Cite book |和書 |author=宮崎克己 |title=西洋絵画の到来――日本人を魅了したモネ、ルノワール、セザンヌなど |publisher=[[日本経済新聞出版社]] |year=2007 |isbn=978-4-532-12412-0 |ref=宮崎}}
* {{Cite book |和書 |author=吉川節子 |title=印象派の誕生――マネとモネ |publisher=中央公論新社 |series=中公新書 |year=2010 |isbn=978-4-12-102052-9 |ref=吉川}}
* {{Cite book |和書 |author=ジョン・リウォルド |others=[[三浦篤]]、[[坂上桂子]]訳 |title=印象派の歴史 |publisher=[[角川学芸出版]] |year=2004 |origyear=(1st ed.) 1946 |isbn=4-04-651912-6 |ref=リウォルド}}