「カトリシズム」の版間の差分

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正信方 (会話 | 投稿記録)
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その後、[[ペトロ]]の教えを継承するローマ教会の権威が高まり、更に[[ローマ帝国]]がこれまでの迫害政策をやめてキリスト教の公認・国教化へと路線を転換した[[4世紀]]にはさまざまな分派的な動きに対抗するためにローマ教会への結集を働きかける動きが強まった。
 
[[380年]]に[[ローマ皇帝]][[テオドシウス1世]]によって出された『[[クンクトス・ポプロス]]』(Cunctos populos)はペテロが[[ローマ人]]に伝えた信仰(使徒言行録2:14~~36)14~~36~42~ローマのラテンの信徒の中にペテロの言葉を聞いた者が居り、其処から発出して居ると、説明も?!)がカトリック性を有する信仰であると定義(結果的にペトロが創設したとされるローマ教会がその教えの継承者となる)。続いて、[[381年]]の[[第1コンスタンティノポリス公会議|コンスタンティノポリス公会議]]における[[ニカイア・コンスタンティノポリス信条]]において、ローマを頂点とする教会が聖的・使徒的・普遍的(すなわち「カトリック」)であることが確認されたのである。以後、ローマ教会は自己を「唯一の真なる教会」と位置づけて自らを「カトリック教会」と名乗るようになった。
 
== カトリシズムの確立 ==