「サン・ファン・バウティスタ号」の版間の差分

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===第一回往航海(月浦ーアカプルコ)===
[[1613年]][[10月28日]](慶長18年[[9月15日 (旧暦)|9月15日]])に当時'''[[ヌエバ・エスパーニャ|ノビスパン]]'''=新イスパニアと呼ばれていた[[メキシコ]]の[[アカプルコ]]を目指して、仙台藩・陸奥国[[牡鹿郡]]月浦(つきのうら。現・宮城県石巻市月浦。{{ウィキ座標|38|22|55.7|N|141|25|39.8|E|region:JP|地図|name=月の浦(サン・ファン・バウティスタ号の出航地)}})から出航した。これを記念して月の浦港には、海軍[[元帥]][[東郷平八郎]]の石碑などが現存する。乗員180名(将軍下の[[侍]]:10名、仙台の侍:12名、日本人商人、水夫、家来:120名、イスパニア人・[[ポルトガル]]人:40名。ルイス・ソテロとセバスティアン・ビスカイノ(便乗)。航海には[[アンドレス・デ・ウルダネータ]]が[[1565年]]に開拓し[[マニラ・ガレオン]]が用いていたウルダネータの航路を使用した。操船はサンフランシスコ号乗組員の、船長ベニト・デ・パラシオ、水先案内人ロレンソ・パスケスらのスペスパニア人航海士や水夫が行い、日本人水夫等はその下働きで操船術を体験した。船は[[北太平洋海流]]に乗って東進し、12月26日に北アメリカのメンドシノ岬(北緯40度26分[[サンフランシスコ]]の北方300km)を視認し、ここから[[カリフォルニア海流]]に乗って南下し、[[1614年]][[1月25日]](慶長18年[[12月16日 (旧暦)|12月16日]])、3ヶ月の航海でアカプルコに到着した。当時は[[パナマ運河]]がないため、支倉とソテロは陸路でメキシコ市を経由して大西洋側に移動して別船にて[[ヨーロッパ]]へ向かった。
 
===第一回復航海(アカプルコー浦賀)===