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正信方 (会話 | 投稿記録)
WP:NOTESSAY / MatsunoKobayashiによる 2017年11月26日 (日) 12:45の版までrv
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その後、[[ペトロ]]の教えを継承するローマ教会の権威が高まり、更に[[ローマ帝国]]がこれまでの迫害政策をやめてキリスト教の公認・国教化へと路線を転換した[[4世紀]]にはさまざまな分派的な動きに対抗するためにローマ教会への結集を働きかける動きが強まった。
 
[[380年]]に[[ローマ皇帝]][[テオドシウス1世]]によって出された『[[クンクトス・ポプロス]]』(Cunctos populos)はペテロが[[ローマ人]]に伝えた信仰(使徒言行録2:14~~36~42~ローマのラテンの信徒の中にヱルサレムで、ペトロの言葉を聞いた者が居り其処から発出して居ると、説明も?!信憑性のある?!)がカトリック性を有する信仰であると定義(結果的にペトロが創設したとされるローマ教会がその教えの継承者となる)。続いて、[[381年]]の[[第1コンスタンティノポリス公会議|コンスタンティノポリス公会議]]における[[ニカイア・コンスタンティノポリス信条]]において、ローマを頂点とする教会が聖的・使徒的・普遍的(すなわち「カトリック」)であることが確認されたのである。以後、ローマ教会は自己を「唯一の真なる教会」と位置づけて自らを「カトリック教会」と名乗るようになった。
 
== カトリシズムの確立 ==
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* カトリシズムは[[ギリシア思想]]の影響を強く受けすぎて、イエス・キリストとその弟子の間で築かれた初期の素朴なキリスト教の原点から逸脱している。また、人間の自然本性を楽天的に捉え過ぎて安易な救済を認めており、全ての罪を背負って十字架に架けられたイエス・キリストの行動の否認につながりかねない。
* 啓示真理の保持と信仰の統一への努力は評価できても、結果的に[[位階制]]という身分制度を教会内部に形成し、信仰よりも権威が教会を支配し、普遍性よりも内部の絶対主義が優先されている。特に[[第1バチカン公会議]]における[[教皇の不可謬性]]は、極端な権威主義に過ぎない。
* カトリシズムにおける[[インカルチュレーション]](諸民族の慣習・民族性に対する寛容)は教義・祭礼の多様化・充実をもたらす一方でキリスト教の中心的使信を曖昧にし、更にその蓄積が重荷となって却って新しい時代の変化や未知の異文化に対する柔軟性の欠如(ハロウィーンのガリカニスム?!フランスの?!)につながっている。
* カトリシズムは政治と密着して、各国の政治に深く干渉してカトリックに反対する人々の排斥に加担している。
* カトリシズムの教条主義こそが[[中世]][[ヨーロッパ]]の[[暗黒時代]]や[[十字軍]]による蛮行の原因である。
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などの反論が行われて、長く論争が行われることとなる(もっとも、最後の2点については中傷あるいは誤解に基づく要素が含まれており、今日のカトリシズム批判者でもこの主張をする者はほとんどいないとされている)。
 
また、人間に対する楽観主義からカトリシズムは厳格な倫理観の一方で、芸術や音楽に対しては人間の信仰の表出のために行われる営みの一環として捉えられている。これは人間の自由と主体性を重視しながらも聖画像をはじめとする芸術・音楽の類が福音の純粋性を曇らせる危険性を唱える[[プロテスタンティズム]](批判カルヴィニズム、イエズス会?!)とは対照的である。
 
当初、カトリック教会はプロテスタントに対する強硬な敵意からカトリック教会以外の救いを否定するような過激な主張も存在し、教皇を頂点とするヒエラルキア的組織であるローマ教会の組織防衛に重点が置かれるとともに、秘蹟による恩寵手段に主張の重点が置かれた。