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; フレットレスギター
* 1970年代後半に手持ちの安価なギターグレコのSGモデルで自ら試作した後、1979年発表のカシオペアのセカンドアルバム『[[SUPER FLIGHT]]』レコーディングからSG-1000の[[指板]]をフレットレスに特注にしたもので本格的に使用開始。後にメインで使っていたSG-2000の特注モデルも指板をフレッテッドからフレットレスに仕直されて、その二本体制で[[2001年]]発表のフレットレス・ギターを全編に使ったソロアルバム『UNDER THE SKY』のレコーディングまで長年に渡って使っていく。そして、その後のフレットレス・ギターをフィーチャーしたリーダー・プロジェクトが行われていた[[2000年代]]前半から中盤には、IN-1のフレッテッドとフレットレスを[[ダブルネック・ギター]]にした特注モデルが作られ、近年のSG-Mellowフレットレスに代わるまで使っていく。
 
=== その他の機材<ref>[[リットーミュージック]]刊「名手のギター・サウンド・システム・ファイル」P.119~P.129</ref> ===
アンプはデビューアルバムのレコーディングや当時のステージではPolytoneポリトーンの物を使用。その後、アルバム『[[HALLE]]』の頃までコンボタイプのヤマハ・F100-115を2台ステレオで使用していた。次作『[[SUN SUN]]』以降はラックタイプのプリアンプ(ヤマハPG1)を使用し、音色自体はプリアンプから直接PA送り、モニター用としてパワーアンプ(ヤマハP-2200)を経由しヤマハのPA用スピーカーやElectro Voiceエレクトロボイス社製フルレンジスピーカーに出力するというシステムに代わる。このシステムにした経緯としては、カシオペア第1期後期から海外ツアーに出る事が多くなったことにより、その際に機材が現地の税関でストップがかかったり、輸送中のトラブルで機材が本番までに間に合わず現地調達をする、あるいは現地のPAやマイキングの関係で自分の音が満足に出せない、などの経験を踏まえたものであるとしている。その後1980年代後半からイシバシ楽器のブランドであるTechnical Designテクニカル・デザインのプリアンプCGC90も併用し、90年代後半からはモデリングプリアンプであるヤマハDG-1000(野呂本人の要望に合わせたカスタム仕様)を長年使用していた。2015年からはヤマハ傘下である[[Line 6|ライン6]]社製のサウンドプロセッサーであるPOD HD Pro Xを使用し、更に2017年からは同社のサウンドプロセッサーHelixのフロアタイプを使用している。
 
エフェクターは初期はDan Armstrongダン・アームストロングのコンプレッサーであるオレンジスクイーザーをギター本体に装着し、BOSSのCE-1(コーラスアンサンブル)を足元に置いて使用するなどしていた。その後はヤマハ製コンパクトエフェクターを専用システムボード(SB-200)に組込んで使用。その後同社のカセット式エフェクターシステム(PSE40A)を経て、DOWN UPBEAT以降からはヤマハE1010(ディレイ)、MAXON マクソンHD-1000/HD-1501(ピッチシフター/ディレイ)などラックマウントタイプの機材が中心となる。2015年からはTC Electronicsエレクトロニック G-Major(マルチFXプロセッサー)とPOD HD Pro X(アンプモデリング・サウンドプロセッサー)を[[MIDI]]で一括制御し、ライブなどではMIDIコントローラーのヤマハMFC-10(フットペダル)を用いて曲に合わせて音色を切替えて使用しており、音色はPAにライン送り、モニター用としてはヤマハ製パワードモニター(DXR12)をステレオ配置していたが、2017年からは前述のサウンドプロセッサー、Helixフロアタイプを足元に置くようになりすべての音色管理ほぼ1台でコントロール。外部のエフェクターなどは使用しなくなり、ラック機材もなくなっている。
 
== ディスコグラフィ ==