「タイレノール」の版間の差分

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[[1982年]]9月29日、[[シカゴ]]近郊の[[イリノイ州]]エルクグローブ村の12歳の少女が「タイレノール・エクストラ・ストレングス」のカプセルを服用したところ、混入されていた[[シアン化合物]]によって死亡。以後計5瓶のタイレノールによって、計7名の死者を出した。この他に毒物が混入された3瓶が回収された。事件は未解決で、この後シカゴ周辺では、[[1986年]]に[[エキセドリン殺人事件]]と多くの模倣事件が発生した。
 
この事件で、ジョンソン・エンド・ジョンソンは「タイレノールにシアン化合物混入の疑いがある」とされた時点で、迅速に消費者に対し、125,000回に及ぶテレビ放映、専用フリーダイヤルの設置、新聞の一面広告などの手段で回収と注意を呼びかけた(1982年10月5日、タイレノール全製品の[[リコール (一般製品)|リコール]]を発表)。およそ3100万本の瓶を回収するにあたり約1億[[アメリカ合衆国ドル|USドル]](当時の[[円 (通貨)|日本円]]の[[為替レート]]で約277億円)の損失が発生。事件発生後、毒物の混入を防ぐため「3重シールパッケージ」を開発し発売。この徹底した対応策により、1982年12月(事件後2ヶ月)には、事件前の売上の80%まで回復した。
 
ジョンソン・エンド・ジョンソンには「消費者の命を守る」ことを謳った「我が信条」(Our Credo)という経営哲学があり、社内に徹底されていた。緊急時の[[マニュアル]]が存在しなかったにもかかわらず、迅速な対応ができたのはこのためである。
 
この事件は、[[危機管理]]における対応策の定石として認識されている。