「高木由一」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
37行目:
入学した[[麻布大学附属高等学校|麻布獣医学園渕野辺高]]には当初野球部がなく、2年時に高木が校内で参加者を募り野球部を創設したが、部員は10人ほどしか集まらず監督もいないチームであった<ref name="kanaloco20140128" /><ref name="kujira" />。
 
[[相模原市|相模原市役所]]では硬式野球部に所属し、3年目の{{by|1970年}}に投手兼外野手として出場した第20回[[日本産業対抗野球大会]]の官業公社部門で優勝して本選出場を果たし、対[[丸善石油硬式野球部|丸善石油]]戦でバックスクリーンに本塁打を放つも試合には敗れた<ref name="kujira" />。
 
{{by|1971年}}11月に、野球部の後輩とともに冷やかしで参加した[[川崎球場]]での入団テストで偶然調子が良く<ref name="kanaloco20140128" />合格してしまい、1か月悩んだ後に断りの電話を入れるも、入団テストを見ていた[[青田昇]]ヘッドコーチから「この打撃力で市役所勤めはもったいない」と改めて高木に呼びかけがあった<ref name="kujira" />。最終的には父親の「せっかく戦争のない世の中になったんだ、人生、いくらでも取り返しがつく、やり直しができるのが若い奴の特権だ。行きたいんなら行って来い、プロ野球へ」という言葉で入団を決意し<ref name="kujira" />、{{by|1971年}}の[[ドラフト外入団|ドラフト外]]で[[横浜DeNAベイスターズ|大洋ホエールズ]]に入団<ref name="kanaloco20140128" />。