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[[アメリカ合衆国]]ではその後、[[渡辺はま子]]のカバー「[[支那の夜 (曲)|支那の夜]](China Nights)」<ref>この曲は発売当時は作曲家の専属契約の問題があり、専属契約に対しての縛りが緩和された後には、新たに「[[支那]]」の[[差別用語]]が問題となり、長年日本では発売されなかった。2004年に発売された坂本九のアルバム「メモリアル・ベスト」で日本発売・初CD化された。</ref>が最高58位、アルバム『[[Sukiyaki and Other Japanese Hits]]』(有名な「坂木九」の[[誤植]]は、このレコードである)も最高14位(いずれもビルボード誌)に止まった。次のシングル「九ちゃんの[[炭坑節]](Tanko Bushi)」(こちらは日本でも発売された。アメリカでの片面は「[[東京五輪音頭]]」)も発売されたが、[[三井三池炭鉱]]で起こった[[三井三池三川炭鉱炭じん爆発|爆発事故]]の影響で歌うことを自粛し、これに伴いアメリカでの活動も事実上終了した。その後にも契約が残っていたヨーロッパではそれらに次ぐシングルとして、中国の歌謡曲に英語詞をつけた「[[メイ瑰メイ瑰我愛ニー|Rose, Rose, I Love You]]」(日本未発売)が発売された。キャピトル・レコードは[[ビートルズ]]のアメリカでのプロモーション以上に宣伝費用をかけたといわれるが、結局、アメリカでは[[一発屋]]に終わってしまった。
 
予定では、本格的に活動拠点を日本国外に移す計画もあったという。なお、坂本九がアメリカでの活動を終えたことで、それ以降[[ピンク・レディー]]が37位にランクインするまで、日本人歌手がビルボードのHOTBillboard Hot 100のランキング挙がに入ることはなかった。
 
なお、1975年にはアメリカとの企画でアルバム「ターニング・ポイント」を制作。録音はアメリカワーナーブラザーズスタジオにて行われ、制作も全て現地スタッフによりおこなわれた。シングル「[[襟裳岬 (森進一の曲)|襟裳岬]]/[[若者たち (曲)|若者たち]]」、アルバムがアメリカと日本で同時発売された。