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厳密な生年は不明だが1300年から1305年の間に生まれた。[[シャンパーニュ]]地方[[ランス (マルヌ県)|ランス]]近郊のマショーの貴族出身。聖職者になるための教育を受ける。
 
[[ボヘミア]]王兼[[ルクセンブルク君主一覧|ルクセンブルク伯]][[ヨハン・フォン・ルクセンブルク|ヨハン]]の秘書となり、ヨハンの兵と共にイタリア、ハンガリー、ボヘミア、[[シレジア]]、[[プロイセン]]、ポーランド、リトアニアなどヨーロッパ各地に赴いた。この間、ヨハンより[[ヴェルダン]]、[[アラス]]、[[サン・カンタン]]、さらに1334年もしくは1337年にランスの[[ノートルダム大聖堂 (ランス)|ノートルダム大聖堂]](司教座聖堂)参事会員等の名誉職を得た<ref>{{Cite web |url = https://kotobank.jp/word/マショー-136185 |title = ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 |publisher = コトバンク |accessdate = 2018-09-30 }}</ref>
 
1346年、[[百年戦争]]初期の[[クレシーの戦い]]でヨハンが戦死すると、後のフランス国王[[ジャン2世 (フランス王)|ジャン2世]](1350年 - 1364年)の妃であるヨハンの娘[[ボンヌ・ド・リュクサンブール|ボンヌ]]に仕え、居をランスに定めて終生ここから動かなかった。