「スタニスラフ・ペトロフ」の版間の差分

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[[1983年]][[9月26日]]、[[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]の将校であったスタニスラフ・ペトロフは[[ソビエト連邦|ソ連]]の標準的な軍服務規程を逸脱し、監視衛星が発したミサイル攻撃警報を自ら{{仮リンク|誤警報|en|false alarm}}と断定した。複数の情報源によると、この決断は[[アメリカ合衆国]]に対する偶発的な報復[[核戦争|核攻撃]]を未然に防ぐ上で決定的な役割を果たした。監視衛星の警報システムに対する調査により、システムは確かに誤動作していたことがその後判明した。以上により彼は核戦争を未然に防ぎ「'''世界を救った男'''」と呼ばれることがある。
 
彼がこの警報を上層部に伝達したかどうか、またその決断が核戦争を回避する上で厳密にいかなる役割を果たしたのかは依然諸説ある。が、彼が処罰される危険を冒して破局を未然に防いだことは、ソ連のミサイル警報システムの致命的な欠陥を暴露し、ソ連軍上層部を深く狼狽させた。この報復結果として彼は「信頼できない」将校との烙印を押され、軍歴を損なわれた。ソ連の軍事機密と外交政策の関係上、ペトロフの行動は[[1998年]]まで秘密とされていた。
 
この事件は[[冷戦]]時代に戦略核兵器を扱う軍によってなされた[[第三次世界大戦#第三次世界大戦に発展する可能性があった事件|いくつかの際どい判断]]の1つである。それらはしばしば、最後の瞬間に、{{仮リンク|指揮系統|en|chain of command}}から遠く離れた担当責任者によって下された。
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ペトロフ自身は自分がその日したことで自分を英雄とは思っていないと述べている。ドキュメンタリー映像「The Red Button and the Man Who Saved the World」<ref name="red" />収録のインタビューでペトロフ曰く「起きたことは全て私にとってどうということはなかった ― それが私の仕事だった。私は単に自分の仕事をしていただけで、たまたま私がその時そこにいるべき人間だったまでだ。当時10年連れ添っていた妻はそれについて何も知らなかった。『で、あなたは何をしたの?』と彼女は聞いた。私は何もしなかった」。
 
== 関連項目 ==
* [[ヴァシーリイ・アルヒーポフ]] - [[キューバ危機]]中に発生した核戦争危機の回避に貢献した人物。
* {{仮リンク|エイブル・アーチャー83|en|Able Archer 83}} - 1983年11月におけるもう1つの核戦争危機。
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* [http://www.nuclearfiles.org/menu/key-issues/nuclear-weapons/issues/accidents/20-mishaps-maybe-caused-nuclear-war.htm 20 mishaps that might have started an accidental nuclear war]
 
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