「カール・シュヴァルツシルト」の版間の差分

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m シュヴァルツシルトが罹患した天疱瘡について
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1901年、28歳の若さで[[ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン|ゲッティンゲン大学]][[準教授]]および同天文台長、1909年、[[ポツダム天体物理天文台]]の台長に就任。1912年には[[プロイセン科学アカデミー]]の会員となった。 1914年に[[第一次世界大戦]]が勃発すると40歳以上だったにもかかわらず軍に入隊した。
 
1915年、[[ドイツ軍]]の[[砲兵]][[将校|技術将校]]として[[ロシア帝国|ロシア]]で従軍中、[[水疱症|天疱瘡]]と呼ばれる痛くて稀な皮膚病に苦しむことになる。にもかかわらず、[[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]の[[一般相対性理論]]から[[重力場]]を記述する重力方程式から導き出された最初の特殊解([[シュヴァルツシルトの解]])を発見し、直後にはアインシュタインに手紙を送っている。論文は、アインシュタインが従軍中のシュヴァルツシルトに代わってドイツ・アカデミーに提出した。
 
この論文では、ある空間に極めて高い質量が存在する場合、空間自体が重力で歪み、「[[シュヴァルツシルト半径]]」と呼ばれる特殊な球形の領域が発生、近い場所ではその重力で光が吸い寄せられ、領域の内側では光の速度でも抜け出せないことを表しており、[[ブラックホール]]の存在を示唆していた。論文発表から4ヶ月後、従軍中の病気が元で死去する<ref>[[NHKスペシャル]]『銀河宇宙オデッセイ』第3話「接近 ブラックホール」(1990年7月15日放送)</ref>。