「ブラック・ジャック」の版間の差分

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手塚の息子である[[手塚眞]]によると、誰にも立ち入りを許さなかった手塚の仕事部屋に、担当編集者が無断で入ったことに怒った手塚が連載終了を宣言したという<ref>手塚眞『天才の息子 ベレー帽をとった手塚治虫』[[ソニー・マガジンズ]]、2003年、p136</ref>。これとは別の理由として、ロボトミーの描写に関する抗議事件の後、医学的な整合性について指摘を受けて描きづらくなったことを生前の手塚が書き残している<ref>『手塚治虫ファンクラブ会報』1号、1979年7月(安藤健二『封印作品の謎』太田出版、2004年、p207 - p208)</ref>。
 
単行本は秋田書店の[[少年チャンピオン・コミックス]]にまとめられたのが最初で、その後も愛蔵版や手塚治虫漫画全集にも収められ、文庫版はミリオンセラーを達成し<ref>藤原邦夫『出版幻想論』太田出版、1994年、p169</ref>、1994年から始まった1990年代のマンガ文庫のブームの火付け役になった<ref>竹内オサム『戦後マンガ50年史』筑摩書房、1995年、p173</ref><ref>安藤健二『封印作品の謎』太田出版、2004年、p199 - p200</ref>。単行本は新書版・文庫版・ハードカバー等を含めた発行部数が日本国内で4564万部<ref>2007年8月現在。『毎日新聞』2007年8月20日夕刊</ref>、{{要出典|範囲=全世界で1億7600万部に達している<ref>2000年度末時点。全協・出版科学研究所「出版月報」<要出典:号数・ページ請求></ref>|date=2018年3月}}
 
アメリカでは1995年からVIZ社が発行した月刊漫画雑誌『MANGA VISION』に連載された<ref>『萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか』日経BP社、2006年、p132</ref>。