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* 関ヶ原の戦い後、真田昌幸は在城18年にして、次男信繁(幸村)とともに紀州[[高野山]]に幽閉されたため、上田城は一時空城となったが、依田肥前守信守が守衛の任に当たる。その後、徳川家康の女婿となっていた昌幸の長男[[真田信之]]が、徳川方に属し将軍秀忠のもとで上田城攻撃を行う忠誠を尽くしたことが評価され、沼田藩とともに上田藩の藩主にもなり、父の地盤を受け継いだ。
 
=== 江戸時代 ===ばかり
* 元和8年(1622年) - 真田信之は、在城23年にして松代(現:長野市松代町)に移り、その後を小諸の[[仙石忠政]]が上田に移る。仙石家は3代85年にわたった。この間に現在残っている上田城が築かれる。
* [[1742年]][[戌の満水]]・寛保の大水とも言われる千曲川の大洪水で市域に広く被害が及んだ。
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* [[1871年]](明治4年)7月 - [[廃藩置県]]に伴って上田県に変わる。
* 1871年(明治4年)11月 - 上田県が廃止されて[[長野県]]に統一。
* [[1877年]](明治10年)[[11月8日]]
- [[第十九国立銀行]]開業。(※ 20年後民営化)
* [[1879年]](明治12年)[[1月14日]] - [[小県郡]]郡役所が上田町に設置される。
* [[1886年]](明治19年)[[8月15日]] - 官設鉄道[[上田駅]]開業。