「丸山眞男」の版間の差分

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[[1960年代]]後半になると逆に、欺瞞に満ちた戦後民主主義の象徴として[[全学共闘会議|全共闘]]の学生などから激しく糾弾された。1969年(昭和44年)3月10日、肝機能障害により入院。同年6月、1970年2月と続けて入院<ref>『丸山眞男集 別巻』前掲書、70頁。</ref>。心労と病気が重なったことで、[[1971年]](昭和46年)3月、東大を早期退職した。[[1974年]](昭和49年)5月に東京大学名誉教授。[[1978年]](昭和53年)11月には[[日本学士院]]会員となる。
 
1993年12月9日、肝臓がんであることを知る<ref>『丸山眞男集 別巻』前掲書、85頁。</ref>。長年版元より依頼されていた『丸山眞男集』(岩波書店)を刊行中の[[1996年]](平成8年)8月15日([[終戦の日]])に死去。82歳だった{{没年齢|1914|03|22|1996|08|15}}。家族のみで密葬を行い、約1週間後に死去が公表された。8月26日に「偲ぶ会」が、[[新宿区]][[信濃町 (新宿区)|信濃町]]の千日谷会堂で行われた<ref>弔辞は[[木下順二]]が読んだ(文藝春秋編『弔辞 劇的な人生を送る言葉』[[文春新書]]2011年pp.97-102所収)。</ref>。
 
== 業績 ==