「天孫降臨」の版間の差分

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=== 猿田毘古 ===
邇邇藝命が天降りをしようとすると、天の八衢(やちまた)に、高天原から葦原の中つ国までを照らす神がいた。そこで天照大御神と高木神は[[アメノウズメ|天宇受売命]]に、その神に誰なのか尋ねるよう命じた。その神は[[国津神]]の[[サルタヒコ|猿田毘古]]で、天津神の御子が天降りすると聞き先導のため迎えに来たのであった。
 
=== 天孫降臨 ===
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天孫降臨の地としては、九州南部の[[霧島連峰]]の一山である[[高千穂峰]](宮崎県と鹿児島県の県境)と、宮崎県[[高千穂町]]の双方に降臨の伝承があるが、どちらの場所が比定されるかは定説がない。
 
なお高千穂町の[[天岩戸神社]]には、天照大神が隠れていた「[[天岩戸]]」と伝わる洞窟がある。
 
※''注記.天岩戸伝説は高千穂町以外にも複数あり、高千穂地区限定のものではない。また、記紀では天の岩戸の洞窟は高天原にあるとしている。''
 
記紀の太陽神である天照大神が隠れ、世界が真っ暗になった天岩戸神話を[[鬼界カルデラ]]大噴火の火山灰の雲による大災害と見る説もある。 日本の太陽信仰(天照大御神信仰)は鬼界カルデラ大噴火に起因すると考える説だが、この説だと天岩戸(火山灰)は伝承地である沖縄から千葉まで日本の上空を覆い尽くしていた事になる。なお天孫降臨の地の高千穂からは鹿児島湾や鬼界カルデラを目視できる。
 
=== 猿田毘古と天宇受売 ===
邇邇藝命は天宇受売命に、猿田毘古を送り届けて、その神の名を負って仕えるよう言った。それで、猿田毘古の名を負って猿女君と言うのである。
 
猿田毘古は、阿耶訶(あざか)で漁をしている時に比良夫貝に手を挟まれて溺れてしまった。底に沈んでいる時の名を底度久御魂と言い、泡粒が立ち上る時の名を都夫多都御魂と言い、その泡が裂ける時の名を阿和佐久御魂と言う。
 
天宇受売命が猿田毘古を送って帰ってきて、あらゆる魚を集めて天津神の御子(邇邇藝命)に仕えるかと聞いた。多くの魚が仕えると答えた中で[[ナマコ]]だけが答えなかった。そこで天宇受売命は「この口は答えない口か」と言って小刀で口を裂いてしまった。それで今でもナマコの口は裂けているのである。
 
=== 木花之佐久夜毘売と石長比売 ===
邇邇藝命は笠沙の岬で美しい娘に逢った。娘は[[オオヤマツミ|大山津見神]]の子で名を神阿多都比売、別名を[[コノハナノサクヤビメ|木花之佐久夜毘売]]といった。邇邇藝命が求婚すると父に訊くようにと言われた。そこで父である大山津見神に尋ねると大変喜び、姉の[[イワナガヒメ|石長比売]]とともに差し出した。しかし、石長比売はとても醜かったので、邇邇藝命は石長比売を送り返し、木花之佐久夜毘売だけと結婚した。
 
大山津見神は「私が娘二人を一緒に差し上げたのは、石長比売を妻にすれば天津神の御子(邇邇藝命)の命は岩のように永遠のものとなり、木花之佐久夜毘売を妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと[[うけい|誓約]](うけひ)をしたからである。木花之佐久夜毘賣だけと結婚したので、天津神の御子の命は木の花のようにはかなくなるだろう」(「我之女二並立奉者有因 使石長姬者 天神御子之命雖雪零風吹 恆可如石而常堅不動坐 亦使木花之佐久夜姬者 如木花之榮榮坐 因立此誓者而使二女貢進 今汝令返石長姬而獨留木花之佐久夜姬 故今後天神御子之御壽者 將如木花之稍縱即逝矣」『古事記』)と言った。それで、現在でも天御子の寿命は長くないのである。
 
== 日本書紀 ==