「デイヴ・クラーク・ファイヴ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
{{出典の明記|date=2018年9月}}
→‎略歴: 大言壮語な表現を避ける
17行目:
 
== 略歴 ==
ドラマーのデイヴ・クラークを中心に[[ロンドン]]北部の下町[[トッテナム]]で[[1962年]]に結成し、[[1963年]]デビュー。「グラッド・オール・オーバー」のナンバーワンヒットで脚光を浴び、[[ビートルズ]]の好敵手と目されるようになる。その後も代表曲となる「ビコーズ」などがヒット。同年のアメリカ進出も大成功し、一躍スターとなった。1964年から1967年夏までは本国よりもアメリカでの人気が高く「オーバー・アンド・オーバー」が1965年に全米ナンバーワンとなる(唯一の全米ナンバーワン)。
 
1966年、[[ビートルズ]]来日以前に日本公演の話が出るも、{{要出典範囲|date=2015年10月|デイヴ・クラーク側がアメリカ並のギャラを提示したため、日本側は収益が見込めない事を理由に決裂している}}。1967年夏、アメリカで「青空の恋」がトップ10に入っている頃に最後の全米ツアーを行い大盛況を博す。なお、英本国では「エブリバディ・ノウズ」(邦題:青空が知っている、1965年のEverybody Knowsとは同名異曲)が全英2位を記録しており、活動の中心がアメリカから本国へ移っていることがわかる、以後は[[1970年]]夏の解散まで英本国のみのTOP10ヒットを放ち続けた。また、前半はオリジナル曲中心だったが、後半は他人の曲を多くヒットさせている。
 
ビートルズに続いて、[[カーネギーホール]]で公演を大成功させる(後に[[ローリング・ストーンズ]]が公演を行うも、あまりのステージマナーの悪さにより、以後ポピュラー音楽の使用はシャットアウトされるに至った)。
 
バンドは[[テナーサックス]]、[[オルガン]]をフィーチャーした肉厚なサウンドスタイルで他のバンドとの差別化を図り、観客の度肝を抜かせたその音は[[リバプールサウンド]]に対抗してトッテナム・サウンドとも呼ばれたが、当時の日本ではビートルズでさえ騒々しい音楽と揶揄されており、重厚なサウンドであるDC5に対しては理解が乏し過ぎ高い支持が得られず終いだった。