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[[前漢]]代、[[秦]]の[[焚書政策]]を免れて[[孔子]]旧宅の壁中や民間から発見された[[秦]]以前の[[儒家]]の[[経書]]の[[テキスト]]に使われていた文字であり、当時の[[経書]]に一般的に使用されていた[[書体]]である[[今文]]([[隷書]]体)に対して'''古文'''という(テキストについては下記、[[#古文経学|古文経学]]を参照)。
現在『[[説文解字]]』や「三体石経」に収録されている「古文」の字形を見ると、画の先が鋭く尖っており、[[金文]]に極めてよく似通っている。字形も同時代既にある程度の部首分けが可能な形となっていた[[大篆]]([[小篆]]の原型)に比べると未整備な部分が多い。
近代になり、[[王国維]]は「戦国時秦用籀文六国用古文説」(1916年)において古文を[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]、[[秦]]以外の[[六国]]([[斉 (春秋)|斉]]・[[楚 (春秋)|楚]]・[[燕 (春秋)|燕]]・[[韓 (戦国)|韓]]・[[趙 (戦国)|趙]]・[[魏 (戦国)|魏]])で使用されていた文字と推定し、東方各国で発展した文字と考えた。
また[[唐代]]末期には乱れた漢字の字体を整理するために典拠のある規範漢字を求めようとする文字校勘学、[[字様の学]]が興起した。その際に古文の収集も行われて十数種の古文集字書が著されたとされ、その成果は[[北宋|宋]]初、郭忠恕の『汗簡』や夏竦の『古文四声韻』に収められた。これらの書物は従来あまり顧みられな
=== 参考文献 ===
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