「ヘリコバクター・ピロリ」の版間の差分

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→‎ヘリコバクター・ピロリの発見: できるだけ、理解不能のカタカナ用語は百科事典では避けるほうが良いのではないでしょうか。
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[[1983年]]、[[オーストラリア]]の[[ロビン・ウォレン]]と[[バリー・マーシャル]]がヒトの胃からの、らせん状の菌を培養することに成功した。この発見には、Skirrowらが[[1977年]]に確立した[[カンピロバクター]]の微好気培養技術<ref>{{cite journal |author = Skirrow MB |title = Campylobacter enteritis: a "new" disease. |journal = Br Med J |year = 1977 |volume = 2 |issue = 6078 |pages = 9-11 |pmid=871765 }}</ref>が基盤となっている。カンピロバクターは感染性の下痢の原因となるらせん菌であり、微好気性(低濃度の酸素と、二酸化炭素を必要とする)かつ栄養要求性の厳しい細菌の一種であるため、特殊な培地と培養法が必要である。マーシャルらはその培養法を応用して、慢性活動性胃炎の患者の胃内、[[幽門]]付近かららせん菌を分離することに成功した。
 
この成功の影には一つの[[セレンディピティ]]偶然があったと伝えられている<ref>{{cite journal |author = 千葉勉 |title = 今年のノーベル医学生理学賞は胃癌の原因菌''H. pylori''の発見者に! |journal = 実験医学 |year = 2005 |volume = 23 |issue = 19 |month = Dec |pages = 2926-7 }}</ref>。カンピロバクター培養法を導入したマーシャルらであったが、それでも目的の菌の培養には失敗が続いた。しかし[[1982年]]4月の[[イースター]]のとき、マーシャルの実験助手が休暇をとったため、マーシャルは通常は数日で終わらせる培養を、5日間そのまま放ったらかしで続けることにした。そして休暇が終わったとき、培地上に細菌の[[コロニー]]ができていることに気づき、これが本菌の発見に繋がった。後に判明したことだが、ヘリコバクター・ピロリは増殖速度が遅く、培養には長時間を必要とする細菌であった。
 
光学顕微鏡で観察した形態の類似性と微好気性であることが共通していたため、この菌はカンピロバクターの1種と考えられ、''Campylobacter pyloridis''(campylo-; 湾曲した、カーブした、bacter; 細菌、pylorus; 幽門)と命名された。ただし、この名称は[[ラテン語]]の文法上誤りであったため、[[1987年]]に''Campylobacter pylori''に改名された。その後、電子顕微鏡下での微小構造の違いや遺伝子の類似性から、[[1989年]]にカンピロバクターとは別のグループとして、新たにヘリコバクター属が設けられ、''Helicobacter pylori''(helico-; らせん状の)に名称変更された<ref>{{cite journal |title = Campylobacter pylori becomes Helicobacter pylori. |journal = [[ランセット|Lancet]] |volume = 2 |pages = 1019-20 |year = 1989 |pmid=2572746 }}</ref>。また、同様の方法でヒト以外にも[[フェレット]]、[[サル]]、[[ネコ]]、[[チーター]]などの動物の胃からも同様の菌が分離されてヘリコバクター属に分類された。