「石井正敏」の版間の差分

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*[[榎本淳一 (歴史学者)|榎本淳一]]は石井の著書『日本渤海関係史の研究』を「研究に一貫しているのは史料を丹念に読み込んだ緻密な実証性であり、ひとつとして忽せにしない関連諸研究に向き合う実直さ<ref name="enomoto107">{{Cite book|和書|author=[[榎本淳一 (歴史学者)|榎本淳一]]|authorlink=|date=2004|title=日渤関係史研究の成果と意義|series=史学雑誌|publisher=[[史学会]]|isbn=|page=107}}</ref>」「史料や諸研究に対する深い読み込みや徹底した実証主義により、戦前からの根強い先入観(渤海対日朝貢史観)が排され、戦後の渤海研究を日本の満州侵略を支えた[[満鮮史]]研究から訣別させることができた<ref name="enomoto107"/>」「氏の[[常識]]や通念に囚われない画期的な諸研究も、同じく史料への深い沈潜から生まれたものといえる<ref name="enomoto107"/>」「補論、付論、付記が多く収載されているが、それは著者の説に対する批判への反論として書かれたものが大半であり、批判のいちいちに応答する著者の真摯な研究姿勢を示している。批判も含め後発の諸研究に広く長く参照され続けているのも、確かな史料の読みに支えられた立論であるからこそ<ref name="enomoto107"/>」と評し、第二章論文「神亀四年、渤海の日本通交開始とその事情」を「厳密な実証に基づいた内容は今なお全く色あせた感じがしない」と評している<ref>{{Cite book|和書|author=[[榎本淳一 (歴史学者)|榎本淳一]]|authorlink=|date=2004|title=日渤関係史研究の成果と意義|series=史学雑誌|publisher=[[史学会]]|isbn=|page=104}}</ref>。第二章論文「日本・渤海交渉と渤海高句麗継承国意識」を「戦前以来の渤海対日朝貢史観とは全く異なる日本渤海関係史像を描き出した研究史上意義の大きな論文」と評している<ref>{{Cite book|和書|author=[[榎本淳一 (歴史学者)|榎本淳一]]|authorlink=|date=2004|title=日渤関係史研究の成果と意義|series=史学雑誌|publisher=[[史学会]]|isbn=|page=105}}</ref>。また、石井が23歳時に発表した最初の論文「大宰府の外交面における機能<ref>{{Cite book|和書|author=石井正敏|authorlink=|date=1970-03|title=大宰府の外交面における機能|series=法政史学22|publisher=[[法政大学史学会]]|isbn=|page=}}</ref>」について、「奈良時代の外交面における大宰府の機能の特殊性を強調する従来の評価の見直しをせまったもので」あり、「国書(外交文書)の取り扱い方から外交権や外交機能の実態を解明するという本論文の分析視覚は極めて画期的なもので、初出後三十年を経過した今なお本論文をめぐって論争が行われているように現在も大きな影響力をもっている」<ref>{{Cite book|和書|author=[[榎本淳一 (歴史学者)|榎本淳一]]|authorlink=|date=2004|title=日渤関係史研究の成果と意義|series=史学雑誌|publisher=[[史学会]]|isbn=|page=106}}</ref>「その才能の早熟さに驚くばかり」と述べている<ref name="enomoto107"/>。
*[[鈴木靖民]]は石井の研究を、史料の細かな見直しから問題点をみつけだして新たな史実を改めて概念化することにより、歴史像を構築していくスタイルであると評している<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=82}}</ref>。また、「石井正敏が日本古代史、特に対外関係史の研究分野で歴史学界に登場したのは一九七〇年のことであり、それ以来、病気のために没する二〇一五年までおよそ四十五年、次々に対外関係史の様々な分野、テーマにわたって研究成果を公にし続けた。今日の日本における日本史および対外関係史の代表的研究者として学界内外に影響を与えてきた<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=78}}</ref>」「今日の対外関係史研究を代表する石井<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=80}}</ref>」「石井の主著と称してよい、精緻な実証性に富んだ巨冊、『日本渤海関係史の研究』<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=81}}</ref>」「石井が日本古代史の研究を対外関係の視点で積極的に推し進めてきたことは、その全業績をみれば一目瞭然である。今日のこの分野の学界が共有すべき通説を形成する研究の陣営に石井が加わり、その基礎となる成果の数々を担ってきたことは十分評価すべきであろう。石井の重厚な研究の一々を知って展望するなら、その学界に占めた高い位置をなんびとも否めない<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=81}}</ref>」「(朝鮮史上の歴史家及び思想家の渤海に対する認識を体系化した研究により)渤海の歴史が中国史の一部か、朝鮮史か、果たしてどちらに属するのかという中国・韓国・北朝鮮の間で交わされる国際的な論争の先駆的業績となるのであり、日本の学界における独自の着実な実証研究として忘れがたい<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=82}}</ref>」「渤海王の系譜の復元は諸国で錯綜する先学の案を検討し、史料を整合的に解釈し直したもので、渤海国史の解明に大いに寄与<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=83}}</ref>」「石井は日本の渤海との外交、次いで新羅との外交の両方を把握し直し、その性格をめぐって学界の普遍的な理解に対して異議申し立てをした<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=85}}</ref>」「(石井の渤海研究は)どれも従来の学説を研究史・学説史の丹念な追跡によって捉え直すか、あるいは独自に見つけた新史料により新たな史実を紹介し、析出して先鞭をつけるなどして、後々まで自身の学説をケアし、『更新』を続けてこだわった研究<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=83}}</ref>」と述べている。
*[[村井章介]]は「学生時代以来の主要な業績をまとめた大著『日本渤海関係史の研究』」と評している<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=111}}</ref>。
 
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