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10歳で[[CBCテレビ|中部日本放送]]で放送されていた素人ちびっ子のど自慢番組『[[どんぐり音楽会]]』に出場し、優勝。これをきっかけとしてテレビ業界に興味を持つようになり、中学校入学と同時に[[巣山プロダクション]]に入所。子役としてのデビューは、『名探偵カッチン』のエキストラ。翌年、その後番組である『海から来た平太』のオーディションを受け、主役として合格。
 
その後は、地元名古屋だけでなく[[近畿地方]]にも進出し、[[関西テレビ放送|関西テレビ]]や近畿地区の[[日本放送協会|NHK]]、[[京都市|京都]]の撮影所等でも仕事をこなすようになる。また[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]]で制作されていた『中学生群像』(『[[中学生日記]]』の前身)に出演し、全国放送にも登場するようになった。自ら「腐れ縁」と称する[[戸田恵子]]や[[竹下景子]]との付き合いはこの頃からである。また互いに独身でもある戸田とは年に一度海外旅行に行くほどであり、度々、戸田のブログで度々話題に挙がっているほか、戸田からは「ゆうこりん」とよの愛称で呼ばれており、『[[それいけ!アンパンマン]]』では30年もの長期に渡りセミレギュラーでいるため、旧知のである。
 
高校卒業後、専門学校に入学し上京して大人の役者を目指すも途端にオーディションに通らなくなった。その理由について三ツ矢は身長が158センチしかなかったことを理由に挙げている<ref name="yomiuri">[[読売新聞]] 2009年5月17日朝刊 Y&Y 日曜版 2面 不屈のひみつ でのインタビューより。</ref>。演出・脚本等の基礎を学びながらアルバイト生活を送る中、話を受けて人形劇『[[プルルくん]]』に出演。これが、声のみでは初の仕事となった。また、俳優としても[[刑事ドラマ]]・[[時代劇]]等に出演するようになった。