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* [[赤羽目匡由]]は「単純に国際関係の一方の当事者である渤海の姿勢のみを以て、唐・渤海関係の友好化の指標とみなすのではなく、相手側の唐、さらにその周辺勢力である新羅の主体的事情にも目配りを怠らない、極めて慎重かつ複眼的な見方と評価することができる<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=175}}</ref>」「石井正敏の研究手法の特徴の一つとして、史料に基づく、その厳密な分析による手がたい実証的研究ということが挙げられよう。それゆえ史料に基づかない主張や、為にする非難に対しては厳しい態度で臨んだ。それは主著や、常ひごろ、史料の一字一句の重要性を説いたり、学術的主張にあたっては権威にとらわれることなく、あくまでどのような史料に基づいたかを重視していたという逸話を通しても重ねて確認できよう。一方で、たとえ見解を異にしても、卓説や肯綮に当たる批判、新出史料への対応については、決しておろそかに扱ったりせず丁寧にとりあげ、容るべきは容れ、反論すべきは反論するというように、極めて誠実・柔軟に対応している(中略)何れも学術研究に携わる者として当然の態度ともいえるが、当たり前のことを当たり前に行うことは容易ではない<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=179}}</ref>」「石井の見解を再確認する作業を通して改めて感じたのは、行論を史料的根拠とともに容易にたどることのできる安心感であった。それは、検証不能な材料を間に挟まないためと思われる。石井の方法論とそれを通じてつむぎだされた確かな考証結果とは、今後も長く指針となり、私たちを裨益し続けることであろう<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=179}}</ref>」と述べている。
* [[岡本真]]は「『虚心に史料を読む』の実践こそが、石井の研究の土台をなしていることは、その一端に触れたことのある者なら、誰もが気づくに違いない。もちろん、可能な限り固定観念を排して、厳密な史料の解釈を志向するのは至極当然のことであるし、その重要性は歴史研究者の誰もが認識していよう。だが、そのなかでも石井は、日本の前近代対外関係史研究の分野において、どれをもっとも貫徹した研究者の一人のように見うけられる。なぜなら、実に多くのその論著に、他の研究者が提示し得なかった緻密な史料解釈が、ふんだんに盛り込まれているからである。そして、こうした論著こそが『石井正敏の歴史学』を体現しているのであり、そのもっとも基礎的な部分を形成しているのが、史料学的な検討<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=30-31}}</ref>」「石井の研究の場合、幅広い分野の史料への目配りを怠っていないのはもとより言うまでもないが、こと史料学的側面においては、文書や記録といった、文献史料についての成果が顕著<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=31}}</ref>」「指摘できるのは、議論の核となる史料について、いずれも綿密な史料学的検討が加えられている点<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=34}}</ref>」「石井の論考では、議論の核となる史料を提示し、既住説を必要に応じて参照して、時には忌憚なくそれを批判し、そのうえで自身の史料解釈を提示して自説を展開するといったスタイルが、しばしばとられており、その土台となる部分こそが史料学的な検討なのである。こうした諸論考は、対外関係史という、日本史のなかでは比較的最近盛んになった研究領域においても、史料学研究が極めて有用であり、必要であることを実証したものと評価することができる。石井の斯学貢献は、この点に認められよう<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=34}}</ref>」「石井自身がかつて述べたように、史料の校訂は『本当の力持ちにしかできない』仕事である。この訳注本における『善隣国宝記』の校訂は、まさに『力持ち』である石井の研究経験や史料読解力、該博な知識が結実したもののように見うけられる<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=36}}</ref>」「(『善隣国宝記』校訂は)幅広い時期について研究してきた石井の、該博な知識が惜しみなく注がれていると言える。以上のような『[[善隣国宝記]]』について石井がおこなった作業は、その後の前近代対外関係史研究の進展に大いに寄与し、訳注本は、、現在に至るまで、基礎史料として広く援用されてきた<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=37}}</ref>」「石井正敏の史料学への貢献は、前近代対外関係史という領域において、自身の研究をもって史料学の有用性と重要性を示したことと、訳注本編纂を通じて同領域の研究の進展に寄与し、それがさらなる史料学的検討の必要性の提起につながったことにある<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=37-38}}</ref>」と述べている。
* [[榎本渉]]は「当時古代対外関係史研究において、主に関心が向けられたのは律令国家群の国家間交渉であり、その後の対外関係の展開については、一九七五年の『森克己著作選集』六巻の刊行を以てすでに決着したかの如き様相を呈していた。そのような中で石井は、外交の時代から貿易の時代への転換を明確に意識していた。石井は民間貿易の時代まで見通す視野を持つ、当時としては数少ない研究者だったのであり、その点でやはり森の後継者だった<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=18}}</ref>」「一九九〇年頃から、古代国家の貿易管理体制に関する論文が多くの研究者によって発表されるようになるが、鴻臚館跡発掘のニュースの直後、平安初期の貿易商人の専論を執筆できる蓄積を持つ研究者は、現場で発掘の指揮を執っていた貿易陶磁器研究者の亀井明徳を除けば、石井くらいだった<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=19}}</ref>」「周知の基本史料に記されている史実を、改めて文字の意味・用法から考察し直すという、一見愚直極まりない方法を取りながら、それによって説得力のある史実の見直しの提案に成功している<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=19}}</ref>」「石井の研究を特徴づけるものとして、史料研究の比重の高さも指摘しておきたい。石井の研究には、既知の史料であって丁寧な読み直しを行うことで新たな史実を見出したものが多く、その点で過半は史料研究としての側面<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=21-22}}</ref>」「古代対外関係史研究において、律令期とそれ以後の時代にまたがる研究を総合的に手掛けた者は、石井の同世代には他にいない<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=24}}</ref>」「理論や体系的な枠組みの提示よりも、個別の史実の確定に力を注ぐ実証主義の立場を堅持<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=25}}</ref>」「史料の入念な検討に基づく石井の研究を覆すには、石井以上に入念な史料への取り組みが求められることになる<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=25}}</ref>」「石井という巨人<ref>{{Harvnb|前近代の日本と東アジア 石井正敏の歴史学|2017|p=25}}</ref>」と述べている。
 
== 著書 ==