「ヒト免疫不全ウイルス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
21行目:
 
== 歴史 ==
[[1983年]]に、[[パスツール研究所]]の[[リュック・モンタニエ]]と[[フランソワーズ・バレシヌシ]]らによって[[エイズ]]患者より発見され「LAV(Lymphadenopathy-associated virus)」と命名された。[[1984年]]に、[[アメリカ国立衛生研究所]](NIH)の[[ロバート・ギャロ]]([[:en:Robert Gallo]]) らも分離に成功しており、「[[ヒトTリンパ好性ウイルス|HTLV]]-III(Human T-lymphotropic virus type III)」と命名した。続いて、[[カリフォルニア大学サンフランシスコ校]]のレヴィらも分離に成功し、「ARV(AIDS-associated retrovirus)」と命名した。LAV、HTLV-III及びARVは、後にいずれも同じウイルスである事が明らかとなり'''HIV-1'''と改称され、[[1985年]]には、モンタニエらが、エイズ患者から新たな原因ウイルスを分離し、「LAV-2(Lymphadenopathy-associated virus-2)」と命名し、LAV-2はその後'''HIV-2'''と改称された。
 
最初の発見者を巡って、モンタニエとギャロの仏米の研究チームが長年にわたって対立し、[[1994年]]に両者が共に最初であるとして決着したが、長期の対立はエイズ治療薬の[[特許]]が絡むもので、治療薬の発売を遅らせないための政治的決着であった。[[2008年]]10月6日、フランスのモンタニエとバレシヌシの2人がウイルスの発見者として、[[2008年]]の[[ノーベル生理学・医学賞]]を授与された。