「戊辰戦争」の版間の差分

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野村十郎の暗殺場所を清水町から江戸口に修正する等の部分修正
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{{main|白石会議}}
閏4月20日[[未明]]、仙台藩と福島藩は新政府軍が庄内藩を攻撃するため出陣していった留守をつき、奥羽鎮撫総督府下参謀の世良修蔵と[[報国隊]]の[[勝見善太郎]]を[[福島宿 (奥州街道)|福島]]の[[金澤屋]]で捕縛して斬首し、遺体を[[阿武隈川]]へ投げ捨てた。首は[[白石城]]へ送られ、[[但木土佐]]は当初[[白石川|児捨川]]へ首を投げ捨てるように命じたが寺へ葬られた。同日[[昼]]、仙台藩と福島藩は金澤屋へ帰宿した長州藩士の松野儀助を捕縛・斬首して金品を奪い、同日[[夜]]に世良の[[厩務員|馬丁]]の繁蔵も[[長楽寺 (福島市)|長楽寺]]で背後から斬殺した。閏4月21日、[[清水宿 (福島市)|清水福島の江戸口]]付近を醍醐参謀らと共に行中だった醍醐参謀[[与力|附士]]の長州藩士[[野村十郎]]を仙台藩士が背後から斬殺し、遺体を阿武隈川へ投げ捨てた。同参謀附士の長州藩士[[中村小次郎]]も[[白河口の戦い]]で重傷を負って[[駕籠|籃輿]]で福島へ向かう途中に[[松川町浅川|伏拝付近]]で左右から刺殺された。さらに仙台藩は、九条総督と醍醐参謀を[[仙台城]]下に[[軟禁]]した<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1148505/219215 『復古記 第十二冊』398390頁]~[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1148505/228 417頁] 復古外記 奥羽戦記 第六 (編著者:[[太政官]]、[[豊原資清]] 出版者:内外書籍 発行:[[昭和]]5年([[1930年]])[[5月8日]]) (2018年10月1115日閲覧。)</ref><ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1176680/120 『二本松藩史』148頁]~[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1176680/121 151頁] 「齋藤淺之助翁談話」 (編著者・出版者:二本松藩史刊行會 再版発行:昭和2年([[1927年]])[[1月10日]]) (2018年10月11日閲覧。)</ref>。
 
これと並行して仙台藩・米沢藩を中心に、会津藩・庄内藩赦免の嘆願書のための会議を新政府と敵対する軍事同盟へ改変させる工作が行われた。赦免の嘆願書は新政府によって拒絶されたので天皇へ直接建白を行う方針に変更された。閏4月23日、新たに11藩を加えて白石盟約書が調印された。さらに後に25藩による奥羽列藩盟約書を調印した。会津・庄内両藩への寛典を要望した太政官建白書も作成された。奥羽列藩同盟には、武装中立が認められず新政府軍との会談に決裂した[[越後長岡藩|長岡藩]]ほか新発田藩等の北越同盟加盟6藩が加入し、計31藩によって[[奥羽越列藩同盟]]が成立した。なお、会津・庄内両藩は列藩同盟には加盟せず会庄同盟として列藩同盟に協力した。