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:[[1814年]]8月、大統領官邸は[[米英戦争]]の[[ブラーデンスバーグの戦い]]での敗北により、[[イギリス]]軍による[[ワシントン焼き討ち|焼き討ち]]にあい、石積みの外壁を残して全てが灰燼に帰してしまった。第4代大統領[[ジェームズ・マディソン]]は設計者のジェームズ・ホーバンを監督に任じ、焼け残った外壁を使って焼失前とほぼ変わらない官邸を再建、[[1817年]]に完成した。このとき、焼けこげた外壁を白く塗装したことから官邸は現在のように「ホワイトハウス」と呼ばれるようになった<ref>ただしこれには異説があり、現存する“White House”の初出は1811年のものであるという。</ref>。現在でも焼けこげた壁の一部は保存されており、トルーマンバルコニーでこれを見ることができる。
 
焼き討ちから約200年経過した2018年、アメリカがカナダに対して[[国家安全保障]]を理由とした関税措置を発表して対立、両首脳間で電話会談が行われた。[[ジャスティン・トルドー]]首相は国家安全保障を理由することはできないと説いたのに対して、[[ドナルド・トランプ]]大統領は過去にカナダ(実際は英軍)はホワイトハウスを焼き討ちしたとして反論している<ref>{{Cite web |date=2018-06-07 |url= https://www.cnn.co.jp/business/35120467.html|title= トランプ氏、関税めぐり加首相と応酬 「焼き打ち」にも言及|publisher= CNN|accessdate=2018-08-06}}</ref>。
 
[[ファイル:The Shell of the White House during the Renovation-05-17-1950.jpg|thumb|250px|トルーマン時代の大改修工事<small>(1950年)</small>]]