「紀元二千六百年記念行事」の版間の差分
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== 概要 ==
[[西暦]]1940年(昭和15年)が[[神武天皇]]の[[即位]]から2600年目に当たるとされたことから<!-- 神武紀元元年は紀元前660年、すなわち西暦-659年 -->、日本政府は[[1935年]](昭和10年)に「紀元二千六百年祝典準備委員会」を発足させ、[[橿原神宮]]や[[天皇陵|陵墓]]の整備などの記念行事を計画・推進した。[[1937年]](昭和12年)7月7日には官民一体の「恩賜財団紀元二千六百年奉祝会」(総裁:[[昭和天皇]]の弟宮・[[秩父宮雍仁親王]]、副総裁:[[内閣総理大臣]]・[[近衛文麿]]、会長:[[徳川将軍家|徳川宗家]]第16代当主・[[徳川家達]])を創設
1940年(昭和15年)11月10日、[[皇居外苑|宮城前広場]]において[[昭和天皇]]・[[香淳皇后]]臨席の下、[[内閣 (日本)|内閣]]主催の「紀元二千六百年式典」が盛大に開催された。11月14日まで関連行事が繰り広げられて国民の祝賀ムードは最高潮に達した。また、式典に合わせて「[[皇紀2600年奉祝曲]]」が作曲された。
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