削除された内容 追加された内容
m →‎昭和時代: 曖昧さ回避
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
43行目:
古代中国の[[醤]]を根源とし、[[遣唐使]]により中国を経て伝来したとされる説<ref>[http://www.yamajirushi.co.jp/misohanashi/hana2re1.htm 「お味噌の歴史」お味噌の原点] 山印醸造</ref>。
* 日本独自説
日本の味噌の原型は歴史が古く、[[弥生時代]]からとする説もあるが、現在の味噌とは違うもので、魚醤に近い。<ref>[http://miso-niigata.com/1.html 日本の発酵食品 味噌] 味噌の歴史</ref>。日本においては[[縄文時代]]から[[製塩]]が行われ、醤(ひしお)などの塩蔵食品が作られていたと見られる。縄文時代後期から[[弥生時代]]にかけて遺跡から穀物を塩蔵していた形跡が見つかっている<ref name="marukawamiso" />。[[古墳時代]]からは麹発酵の技術を加えたものとなった。
 
現在の味噌の起源に連なる最初は、[[奈良時代]]である。当時の文献に「未醤」(みさう・みしょう:まだ豆の粒が残っている醤の意味)と呼ばれた食品の記録がある。また「末醤」とも書かれ、「[[大宝律令|大宝令]]」([[大宝 (日本)|大宝]]元年([[701年]]))の「[[大膳職]]」条では「末醤」と記される。他に味醤、美蘇の字もすでに見える。[[藤原京]](700年前後)の遺跡からは、[[馬寮]](官馬の飼養などを担当する役所)から食品担当官司に醤と末醤を請求したものとして、表は「謹啓今忽有用処故醤」、裏には「及末醤欲給恐々謹請 馬寮」と書かれた木簡が発掘されている<ref>[http://www.asukanet.gr.jp/ASUKA2/ASUKAMIYA/fuziwaragu.html 藤原宮] 奈良文化財研究所 飛鳥資料館倶楽部</ref>。この未醤、あるいは末醤が、やがて味醤、味曽、味噌と変化したものであることは、「[[倭名類聚抄]]」(934年頃)や「[[塵袋]]」(1264-1287年頃)という辞書に書かれている。この当時の味噌は、調味料というよりは豆やその他の穀物を塩漬保存した[[保存食]]であり、つまんで食べられた。[[徒然草]]にある、[[北条時頼]]と[[北条宣時]]が、台所に残っていた味噌だけを肴として酒を酌み交わしたという逸話は、このような時代背景によるものである。大豆を原料とした調味料としては、当時は[[納豆#塩辛納豆|塩辛納豆]]が主に使われた。