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[[File:Lithuanian Grand Duke Švitrigaila.jpg|thumb|シュヴィトリガイラ]]
[[ファイル:COA of Gediminaičiai dynasty Lithuania.svg|thumb|right|150px|[[ゲディミナス朝]]の紋章 (''Gediminaičių stulpai'')]]
'''シュヴィトリガイラ'''({{lang-lt|Švitrigaila}}、[[1370年]]頃 - [[1452年]][[2月]])は[[1430年]]から[[1432年]]にかけての[[リトアニア大公国|リトアニア大公]](在位:[[1430年]] - [[1432年]])。生涯の大半を従兄弟の[[ヴィータウタス]]および[[ジーギマンタス・ケーストゥタイティス]]との支配権争いに費やした。
 
== ヴィータウタスとの争い ==
シュヴィトリガイラは[[アルギルダス]]とトヴェリ公女[[ウリヤナ・アレクサンドロヴナ|ウリヤナ]]の息子として生まれた。シュヴィトリガイラは母の許で[[正教会|正教徒]]として 洗礼を受けた<ref>[http://www.krugosvet.ru/articles/113/1011383/1011383a1.htm 洗礼を受けた]</ref>。11歳の時に兄の[[ヴワディスワフ2世 (ポーランド王)|ヤガイラス]]と一緒に[[クラクフ]]で[[カトリック教会|カトリック]]に改宗して[[洗礼名]]を[[レフ・ボレスワフ]]に変更した。
 
同時に[[ポロツク]]がシュヴィトリガイラの領地の[[首都]]となった。しかしながら、シュヴィトリガイラは[[1392年]]に不覚にも隣の[[ヴィテプスク]]を奪取しようと試みて従兄弟の[[ヴィータウタス]]に土地を没収されて[[プロイセン]]に追われた。
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*[[リトアニアの統治者の一覧|リトアニア大公]]([[1430年]] - [[1432年]])
*[[ヴォルィーニ公|ヴォルィーニの王]]([[1437年]] - [[1452年]])
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==