「明治神宮野球場」の版間の差分

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==プロ野球==
===東映の使用===
[[1961年]](昭和36年)、東映フライヤーズ(現: [[北海道日本ハムファイターズ]])の本拠だった[[駒澤野球場]]が、[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]](1964年)の開催に伴い[[東京都]]から用地返還を求められたため、閉鎖されることになった。東映は次の本拠を探す中で、明治神宮側へ神宮球場の隣に建設中だった第2球場の使用を申し出た。一度は断られたものの原因を作った都に仲介を持ちかけ、結局は[[#優先使用権|学生野球の試合が開催される場合それを優先すること]]、6月から9月にナイターで試合を行うことなどを条件に、[[1962年]]から神宮球場の方を使用することが認められた。あくまでも仮の処置であり、後楽園球場や[[東京スタジアム (野球場)|東京スタジアム]](1962年6月完成)と併用する形で、主催試合数の半数近くが神宮で開催され事実上の[[専用球場]]とされた。球場別試合数では神宮が多かったものの、これは半数以上の試合開催を求める現在の[[日本プロフェッショナル野球協約]]では認められない試合数である(1962年:神宮32試合、後楽園24試合、東京3試合、その他6試合、1963年:神宮31試合、後楽園26試合、東京18試合)。
 
その年、パ・リーグ優勝を果たした東映は[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]・[[阪神タイガース]]戦の主催3試合中第3、4戦の2試合を開催。第5戦は学生野球優先の取り決めもあり[[後楽園球場]]で開催された。また[[1963年]](昭和38年)には東京オリンピックの協賛[[チャリティー]]というサブタイトルで[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]を初開催した。