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'''観念'''(かんねん、{{lang-en-short|idea}}、{{lang-el-short|ιδέα}})は、[[プラトン]]に由来する語「[[イデア]]」の[[近世哲学]]以降の用法に対する訳語で、何かあるものに関するひとまとまりの[[意識]]内容のこと。元来は[[仏教用語一覧|仏教用語]]
 
「[[イデア]]」は、何かあるものに関するひとまとまりの意識内容を指し、[[ルネ・デカルト|デカルト]]によって近世哲学的な[[意味]]で再導入された。
 
== 定義 ==
論者によって厳密にいえば[[定義]]は異なる。プラトンのイデアは、[[主体と客体|客体]]的で[[形相]]的な[[元]]のことであるが、デカルトによって、[[認識]]が意識する主観の内的な問題として捉えなおされたため、イデアは、主観の意識内容となり、以降、この意味での用法のものを観念と訳している。
 
[[日本]]では訳語に'''観念'''が当てられる。[[日本語]]の'''観念'''は、元来は仏教用語であり、「[[イデア]]」以外の意味を持つ(後述)。
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[[ジョン・ロック|ロック]]では観念と物そのものが区別される。ロックにとって物そのものは観念の対応物でなく観念を引き起こす原因である。[[デイヴィッド・ヒューム|ヒューム]]では観念と知覚印象が区別される。観念は論者によっては感覚的イメージだけを意味することもあり、また概念的で感覚的ではない観念を含むこともある。[[ジョージ・バークリー|バークリー]]では観念だけが実在であるとされ、外的な物質の存在は否定される。
 
[[仏教]]では、'''観念'''は[[仏]]や[[浄土]]などを[[智慧]]によって対象を正しく見極め、[[精神]]を集中して思い考えること。『[[観仏三昧経]]』等で勧められている。[[観想]]ともいう。転じて、一般には想いをこらして深く考える事に依って正しい結論に思い至ること。
 
== 関連項目 ==
{{wiktionary}}
* [[イデア論]]
* [[観念論]]
* [[思考概念]]
* [[思]]
* [[意識思想]]
* [[精神意識]]
* [[精神]]
 
{{Philos-stub}}