「只見特定地域総合開発計画」の版間の差分

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只見川・阿賀野川流域で再開発事業が着手されたのは阿賀野川初のダム式発電所・[[鹿瀬ダム|鹿瀬発電所]]であった。東北電力は鹿瀬発電所の対岸に'''第二鹿瀬発電所'''(出力5万5000キロワット)を[[1973年]](昭和48年)[[5月10日]]に稼働させ、夏季のピーク時に対応できるようにした。この再開発は上流に向かって進められ、[[1975年]](昭和50年)には'''第二豊実発電所'''(出力5万7000キロワット)、[[1984年]](昭和59年)には'''第二新郷発電所'''(出力3万8800キロワット)が建設され、さらに'''第二山郷発電所'''(出力2万2900キロワット)が[[1992年]](平成4年)、'''第二上野尻発電所'''(出力1万3500キロワット)が[[2002年]](平成14年)完成し、阿賀野川の5発電所だけで18万7200キロワットが新たに開発された。
 
只見川では[[1979年]](昭和54年)より'''只見発電所・只見ダム'''の建設計画が田子倉ダムの直下で行われていた。当初は[[1968年]](昭和43年)に計画が浮上したが地元只見町の反対が強く、一旦立ち消えになっていた。しかしオイルショック以降水力発電の見直しが行われ、調査の結果田子倉・滝発電所間に残る有効落差を活用することで6万5000キロワットの電力が新たに開発でき、かつ田子倉ダムから放流される水をより効果的に逆調整することが可能であることから[[1981年]](昭和56年)に着手した。只見町の56戸が水没することから補償交渉は難航し、[[水源地域対策特別措置法]]による補償額の増額なども図られ交渉が妥結。[[1989年]](平成元年)に完成した。さらに奥只見発電所の増設が[[1999年]](平成11年)に行われ、[[2003年]](平成15年)の完成により出力を一挙に20万キロワット増強させ'''56万キロワット'''となり、日本最大の一般水力発電所となった。現在はまた、田子倉発電所では老朽化した[[発電機]]交換が行われており、[[2012年]](平成24年)に終了すれば出力40万キロワットとなった
 
只見川の支流である伊南川の支流・黒谷川には1990年より'''黒谷発電所'''(出力1万9600キロワット)の建設が始まり、[[1993年]](平成5年)完成した。この発電所の取水口である'''黒谷取水ダム'''<ref>高さが6.0メートルと[[河川法]]に基づくダムの基準・15.0メートルに満たないため、[[堰]]として扱われる。</ref> は、ダム本体がコンクリートではなく[[ゴム]]で出来ている[[ゴム引布製起伏堰]]と呼ばれるもので、一般にはラバーダムとも呼ばれる。ゴム内部に空気を送り込むことでゴムを膨張させ、貯水を行うというメカニズムを持つダムである。この他黒又川が合流する[[破間川]]の上流には[[1985年]](昭和60年)に新潟県によって[[多目的ダム#補助多目的ダム|補助多目的ダム]]である[[破間川ダム]]が建設されたが、電源開発はこのダムを利用して'''破間川発電所'''(出力5,100キロワット)を稼働させている。