「社共共闘」の版間の差分
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[[21世紀]]にはいり、[[憲法改正論議]]が盛んになっており、社会党の後身である社民党と共産党はいずれも[[日本国憲法第9条]]等の改憲反対を訴えているが、両党とも、一時[[国会 (日本)|国会]]での議席が単独での[[党首討論]]ができない議席数となった<ref>共産党は[[第23回参議院議員通常選挙]]と[[第47回衆議院議員総選挙]]で10人以上の議席を獲得し党首討論が可能になった。</ref>ので、[[護憲]]勢力は不利に陥っている。そのため、同じ護憲派である共社が協力して選挙に臨むべきだとの声が善意の共産党支持者のあいだからも上がるようになった。しかしながら、[[2000年代]]の間に社共共闘が行われた選挙区は[[沖縄県第2区|沖縄2区]]の[[照屋寛徳]]と沖縄県選挙区の[[糸数慶子]]のみである。
その中で、[[2006年]][[1月20日]]に共産党の新執行部が社民党に挨拶に行った際に、[[志位和夫]][[日本共産党中央委員会幹部会委員長|委員長]]が「
2009年に執行された[[第45回衆議院議員総選挙]]において、社民党は民主党との連立を主張して選挙戦に入った。いくつかの小選挙区では、社民党候補を民主党が推し、民主党候補を社民党が推すケースが見られた。選挙の結果、[[自由民主党 (日本)|自民党]]は歴史的な敗北に終わり、民主党主導の[[政権交代]]が実現した。これを受け、民主党と社民党は国民新党も加えて正式に[[連立政権]]([[民社国連立政権]])を発足させた。共産党はこの政権交代に対して、建設的野党の立場を主張し、[[与党]]となった社民党とは異なる方向で護憲の立場を貫くことになった。
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2000年代に共産党が社民党系候補を支援した例は[[徳島県]]知事選での[[大田正]]と[[沖縄市]]長選での[[東門美津子]]のみであり、社民党が共産党系候補を支援した例は党としては無く、[[保坂展人]]が個人的に[[狛江市]]長選で[[矢野裕]]を応援したのみである(組織としては自主投票、社民党支持者として知られる[[石坂啓]]などは[[河西信美|自公民推薦の対立候補]]を支援)。ただし民主党や[[地域政党]]の[[東京・生活者ネットワーク]]などが共産党と共闘する場合、その中間に位置する社民党も(主導権は大きくないものの)加わる場合が多かった([[東京都]]の市部に多い。[[武蔵野市]]、[[西東京市]]、[[小平市]]、[[調布市]]など)。この場合は民主党内の旧社会党・[[社会民主連合|社民連]]系の候補を共産党が支援する場合が多く、形を変えた社共共闘とも考えられる。[[2012年東京都知事選挙]]では、共社が共に[[宇都宮健児]]を支持し、都知事選では29年ぶりに共社が同一候補を支援したが、[[猪瀬直樹]]に大敗した。[[2014年東京都知事選挙]]では、共産党はいち早く宇都宮の推薦を決め、社民党は[[細川護熙]]の支援も模索したが、引き続き宇都宮を推薦した。結果は前回より微増したが、やはり[[舛添要一]]に敗れた。[[2014年沖縄県知事選挙]]では、自民党を離党し[[普天間飛行場]]の[[辺野古]]移設に反対する翁長雄志を自民党を除名された[[那覇市議会]]新風会と共に推薦し、当選させている。[[那覇市]]長を決める選挙でも[[城間幹子]]を共社と新風会が推薦し、当選させた。
一方、かねてより[[新社会党]]から送られていた選挙共闘での窓口設置の申し入れに対して、共産党は、新社会党が党の基本文書のなかで共産党を名指しで批判の対象としていることを理由に
== 野党共闘の5党合意 ==
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