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'''三好 京三'''(みよし きょうぞう、[[1931年]]([[昭和]]6年)[[3月27日]] - [[2007年]]([[平成]]19年)[[5月11日]])は、[[岩手県]][[胆沢郡]][[前沢町]](現・[[奥州市]])出身の[[小説家]]。本名、'''佐々木 久雄'''(ささき ひさお)<ref name="kotobank">[http://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E5%A5%BD%E4%BA%AC%E4%B8%89-640327 三好 京三いったは]コトバンク。2018年10月27日閲覧。</ref>
 
== 人物 ==
旧制・岩手県立一関中学校(現・[[岩手県立一関第一高等学校]])卒業。学生時代の友人に後の作家・[[光瀬龍]]がいた。
 
<!-- 前沢[[町役場]]勤務を経て、 --><!-- 出典を確認できません -->[[種市町]]立中野小学校及び種市町立宿戸小学校(現[[洋野町]])に[[助教諭]]として赴任、その後[[1962年]](昭和37年)に旧[[衣川村]]立(現[[奥州市]])衣川小学校大森分校に赴任。[[1971年]](昭和46年)、<!-- には同校勤務の傍ら6年間掛けて --><!-- 出典を確認できません -->[[慶應義塾大学]][[文学部]]<!-- (第3類) --><!-- 出典確認できません -->を[[通信教育]]で卒業した<ref>人名事典、三好京三、[[PHP研究所]]公式サイト。</ref>。在学中は[[国文学]]を専攻する。
 
妻が[[子宮]]摘出を受け子どもを授かることができなくなった経緯もあり、三好の友人で[[作家]]や[[社会学者]]として知られる[[きだみのる]]の11歳の娘を[[養女]]に迎えた。父と放浪生活をしていた娘は、学校にも通わず野性児のようだった。
 
その成長過程を描いた[[1975年]](昭和50年)出版の『[[子育てごっこ]]』で[[文學界新人賞]]及び[[直木賞]]を受賞し、これが三好にとって事実上の文壇デビューとなった。<!-- 作家生活に入るため、 --><!-- 出典を確認できません -->[[19761978年]](昭和5153年)に退を辞した<ref name="kotobank"/>。ちなみに、三好が14年間勤めた衣川小学校大森分校は[[2001年]](平成13年)に学童数の減少により閉校となっており、旧校舎は「ふるさと自然塾」として用いられ、職員室と宿直室は「三好京三記念室」として保存されている。
 
三好はその後に養女との共著も出していたが、三好の養女が上京後に[[売春]]をおこなっていたことが写真週刊誌にスクープされ、スキャンダルに発展してしまった。さらに養女が三好から[[性的虐待]]を受けていたと主張したため、更なるスキャンダルとなった。[[1986年]](昭和61年)には、養女が三好を批判する内容の手記を刊行、同年には養女と親しい[[花柳幻舟]]が『オッサン何するねん!─文化人エンマ帖』([[データハウス]])を刊行し、118ページにわたって三好を糾弾した。しかし、[[2004年]](平成16年)に三好はメディアのインタビューに対して、養女が「悪いヤツにそそのかされて」やったことで、養女とは「とっくに和解」したと答えている<ref>[http://gendai.net/?m=view&g=geino&c=070&no=15573 娘から離縁状を突きつけられ、マスコミの餌食に…ゲンダイネット](2004年9月14日掲載)</ref>。