「日本野球連盟」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
70行目:
* [[21世紀]]に入り、元プロ野球選手、あるいは[[山本譲二]]や[[萩本欽一]]といった野球愛好家のタレントが結成したクラブチームが設立されたり、あるいは[[#プロ野球との関係|次項]]でも記述するプロ野球選手の監督や選手などでの現場復帰のケースも増えている。
 
== プロ日本野球機構(NPB)との関係 ==
戦後{{by|1960年}}までは[[プロ野球]]経験者の社会人野球復帰が1チーム3人まで認められていたが、{{by|1951年}}の[[南海土建野球部]]に[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]の二軍選手が集団「出向」して参加した事例で関係が悪化し、{{by|1961年}}の[[柳川事件]](シーズン中に[[日本生命硬式野球部|日本生命]]の[[柳川福三]]を強引に[[中日ドラゴンズ]]が獲得した問題)が決定的亀裂となり、これ以後プロ選手の社会人野球復帰が禁止されてしまった。
 
しかし、{{by|1992年}}の[[バルセロナオリンピック]]の際に行われたプロ・アマ交流試合をきっかけに[[日本野球機構|プロ野球]]チームとの交流も盛んに実施されており、段階を追って選手の社会人野球への復帰が認められたり、練習試合でも主として二軍チームとの交流戦を積極的に実施している。また[[広島東洋カープ]]の二軍チームが広島大会(5月)に限定して2002年度から公式戦出場を果たし、2003年度から2年連続で同大会優勝を飾っている([[広島東洋カープ (ファーム)#社会人野球大会戦績|社会人野球大会戦績の項]]参照)。
 
また、元プロ野球選手が主宰者・監督・コーチなどの形で就任するクラブチームの結成も相次いでいる。
 
一方で、2011年のドラフト会議前に、「企業所属の選手は技術向上と社会教育という育成制度の理念から外れるので、指名するならば支配下選手として指名すべき」という申し入れを行なっており、NPBの[[育成選手制度 (日本プロ野球)|育成選手]]契約に一定の歯止めをかけている。
 
なお、1リーグ時代のプロ野球を主催していた組織も[[日本野球連盟 (プロ野球)|日本野球連盟]]という名前だったが、直接の関係はないとされている。