「ブラック・サンデー (映画)」の版間の差分

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== 日本公開 ==
日本では、[[1977年]][[7月30日]]から劇場公開の予定だったが、上映中止を求める脅迫状が届いたため、興行を行う東宝の判断で22日になって上映中止となった。脅迫状はハガキにペンで「[[ジェット・ローラー・コースター]]の上映を即刻中止せよ」「無視されれば対抗手段としてテロなどの実力行使をもってする以外にはない」という文面で東京の神田郵便局管内から21日に投函されていた。宛先は配給元の[[ユナイテッド・インターナショナル・ピクチャーズ|CIC]]関西支社と東京都内の[[日比谷有楽座]][[渋谷東宝劇場会館]][[新宿プラザ劇場]]の3映画館。差出人はそれぞれ「[[京都大学|京大]]C線」「[[大谷大学]]京都C線」「[[愛知工業大学|愛工大]]C線」となっていたが、いずれも実体のないグループ名だった。警視庁の調べでは「関係各機関からの自粛の訴えを黙視したことは絶対に許せない」との文面があったが、『ジェット・ローラー・コースター』にはそのような訴えはなく、本作が7月初旬の試写会の後、中東諸国の大使から「内容が偏向しているため、上映を中止して欲しい」と要望があったことが判明し、作品名を混同したものだろうと考えられた。東宝系の映画館は「万一を考え、やむなく中止」と上映を断念した<ref>「映画『ブラック・サンデー』 脅迫受け上映中止」『[[中日新聞]]』1977年7月23日付夕刊</ref><ref>斉藤守彦『映画宣伝ミラクルワールド 東和・ヘラルド・松竹富士 独立系配給会社黄金時代』[[洋泉社]]、2013年、pp.48-50</ref>。その後、ビデオなどは販売されている。
 
[[2006年]]には、DVDを発売記念した特別試写会が、東京・[[新宿区|新宿]]の[[明治安田生命ホール]]で行なわれた。