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やや遅れて、蝶をマークとして採用した[[ヤマハ|日本楽器製造]](現・ヤマハ)がこれに続き、かなり遅れて1952年(昭和27年)に操業を始めた[[鈴木楽器製作所]]が本格的に参入する。そのほかにも、ヤマト、東海楽器などそのほかにもいろいろな小規模な企業が出来た中、3度の大きな戦争を迎えて、国内で現存する企業は、トンボ楽器製作所、ヤマハ、鈴木楽器製作所の3つに集約されたが、2016年現在、ヤマハ(旧・日本楽器製造)は学習用ハーモニカ数種のみしか販売しておらず、本格的なハーモニカの第一線からは退いた。依って国内企業で現在のハーモニカ・メーカーとしての地位に有る企業は、トンボ楽器製作所と鈴木楽器製作所のみである。日本最古のハーモニカ・メーカーの鶯声社は第二次世界大戦時の東京大空襲で焼失した。当時、鶯声社に在籍していた早乙女勝元氏は後に「東京大空襲」を執筆している。
 
現在のハーモニカの主要メーカーは、ドイツのホーナー社 (Hohner Musikinstrumente GmbH & Co. KG), サイドル・ゾーン社(C.A.Seidel Söhne), ブラジルのヘリング・ハーモニカ (HERING Harmônicas)、日本のトンボ楽器製作所、鈴木楽器製作所、中国・[[上海]]の江苏天鹅乐器有限公司 (Jiangsu Swan Musical Instrument Co.,Ltd) などが現存する大規模なハーモニカ製造企業である。
 
大正から昭和初期にかけてハイカラ好きの若者の間でハーモニカは人気があり、日本では[[太平洋戦争]]終了以前は、「[[口琴]]」とも言われていた。プロの間では以前はこの言葉が使われていた。中国語圏では現在でもこの表記が通用する。1905年(明治38年)、日本で販売されたホーナー社のハーモニカ名は「カチドキ笛」である。[[日露戦争]]時に販売されたためにつけられた名前であり、ホーナー社の商売の巧さを垣間見ることが出来る。それらの流行から、大正から昭和初期にかけて各大学などにもハーモニカ・[[アンサンブル]]が作られるなど、[[マンドリン]]と人気を二分した。