「劉焉」の版間の差分
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→不幸の連続: 「暗愚と評判だった劉璋」とあるが、それは現代人の感覚であろう。史書の表現(『蜀書』「劉焉伝」)に沿って改め、補足を加えた タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
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[[興平 (漢)|興平]]元年([[194年]])、劉焉は、子らの非業の死の悲しみや災害など、相次ぐ不幸が重なったため、その心痛から背中に悪性腫瘍を患い同年に死去してしまった。
実力者であった趙韙の思惑で、
張魯の漢中での独立と、東州兵と益州豪族との摩擦などによって、益州は混乱することになる。
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