「李承晩」の版間の差分

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== 対日政策 ==
<!--現在で言う反日っつーのとはちょっと違うような気がするし、大幅に編集、ご理解を-->
朝鮮の独立運動に併合前後から関わっていた経歴から、李承晩は日本を激しく嫌った。アメリカ滞在中には併合以前の[[李氏朝鮮|李朝]]を「東洋の理想国家」であったと積極的に言論活動を展開し、これがハースト系新聞によって宣伝された日本=野蛮国論の一部となりアメリカが[[アジア]]に政治介入する政策の根拠となった。

また、李承晩は朝鮮が日本統治下にあった時期の殆どを海外で過ごしていたため、日本や日本人というものを[[ステレオタイプ]]として抽象的にしか理解できず、[[反日]]政策をいたずらに煽ることにつながったとも指摘されている。加えて[[権威主義]]政権として基盤の脆弱であったことや、[[保導連盟事件]]、[[済州島四・三事件]]、[[国民防衛軍事件]]の様な失政から国民の目をそらすべく、今日でも李承晩の[[韓国の民族主義|民族主義的政策]]による影響は根強く残っており、日本と韓国間に横たわる問題の多くが李承晩時代に端を発している。
 
=== 李承晩ラインと日本船拿捕 ===
代表的な対日政策の1つに[[1952年]]の一方的な海洋主権宣言、いわゆる「[[李承晩ライン]]の設定」がある。